Mail-Magazine Back Number
バックナンバー目次 アジアの街角から:記事集  迷子になったらここ!(^O^)  CHINACHIPS 総合トップ

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┃ ┌─────┐ ┌──────────────────┐ + ☆
┃ ☆ 金 曜 版 ☆  ≪ WEB 熱線 第502号 ≫2005/01/07_Fri  ++++ ☆
┃ │ (*^−^*) │ ├──────────────────┤ +☆
┃ ☆ WEB 熱線 ☆ ―― アジアの街角から:亜洲街巷信息 ―― ++++ ☆
┃ └─────┘ └──────────────────┘ + ☆
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┌―――――――――――☆☆ 今号の目次 ☆☆―――――――――――┐

│・ごあいさつ ------ 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿

│・自虐史観の枷を解  甦れ!日本外交、頑張れ!外務省 --- by gosakuさん

│・おしらせ! ------ 明日、8日(土曜日)南通で新年オフ会を開催!

│・マレーシアナウ -- 格安航空エア・アジアの急成長 --- by 坪内隆彦さん

│・読者の広場 ------ 十八子松戸さん・気分は情報無限さん。

│・あとがき -------- トホホホ、、。

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◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇

│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│  「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。

│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│  別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│  更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。

│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│             ___________________
│4.バックナンバーは → http://chinachips.fc2web.com/aaa.html
│      「アジアの街角から題字の右横」→「バックナンバー書庫」
◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
 

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┃▼▽ 自虐史観の枷を解く ▽▼            by gosakuさん
 
☆ 甦れ!日本外交、頑張れ!外務省(討論編2) ――――― 2005/01/07
 
┌--------
おめでとうございます! gosakuでございます。
昨年暮れ31日発行の500号を併せましてお祝い申し上げます。
└--------
 
 
 ▼ この答復文の元になった野太郎さんのご意見:
http://chinachips.fc2web.com/repo1/015074.html
 

―― 冒頭に、
 
野太郎さん、丁寧なご意見ありがとう御座います。ーーまず答復が遅れたこと
をお詫びいたします。あまりおざなりな返事も却って失礼かと思いましたので
遅くなってしまいました!ーー固定観念に縛られている僕にとって、野太郎さ
んの論理は、じつに新鮮で目を見張るばかりでございます。
 
今朝、年始に訪れた友人に見せたところ、「うーん、良く勉強している方です
ね。こういう発想もあるんだね〜〜。ちょっと枝葉末節に囚われているところ
もあるが、姑の嫁イビリ、、いや、今じゃー嫁の姑イビリといったところかな
〜」と酒の入った勢いで冗談をいって笑っていました。
 
僕を目の前にしては、正月早々僕を批判する訳にもいかず、こんな言葉になっ
たのでしょう。(^^) いずれにしても、僕の常識からはかなり距離がある部分
があります。できる限りのお答えをさせて頂きます。
 

―― 僕の「甦れ、外務省・・・」
 
「甦れ・・・」とは、本来失っていた元気を取り戻すという意味ですが、僕が
"甦れ"といったのは、何も戦前の外務省に戻れといっているわけではありませ
ん。
元総理大臣の娘ということでメディアの寵児として華やかに登場した田中真紀
子外務大臣は、正に「白馬の騎士」が外務省という汚れ果てた組織を一刀両断
に改革するために乗り込んだかの如き、、一部無責任なテレビのワイドショー
の報道で、あたかも国民に、外務省は伏魔殿であるという印象を植付け..逆に
省員はプライドや自信を失い、省全体が惨めな状態になったわけです。
 
聞くところに拠れば外務省幹部は、60%が東大卒・京大卒20%・その他、
一ツ橋大卒・慶応卒・早稲田卒・上智卒・東京外語卒で20%といった日本の
超エリート集団です。
保身に走らず、出世主義を排し、何事も穏便にという事なかれ主義から脱却す
れば、必ずや世界をリードする外交が期待できると「激励」のエールを送って
いるのです。
 
明治時代の陸海軍は融通無碍でしたと述べましたが、もちろん薩長閥はあり、
また熾烈な葛藤もあったと思われます。が、その他の人材も採り入れ、外務省
との連絡もよく機能していたという記録もあります。それに加えて、元老と呼
ばれた人たちの「負けるイクサはすべきでない」という判断が適確だった。
 
それに比べて、今次大戦の開戦を決意した時の陸海軍は、全く硬直化していま
した。重複しますが、近衛首相(当時)が日米開戦の是非に関する最後の決断を
下す為に、山本五十六連合艦隊司令長官を密かに呼んで海軍の本音を尋ねたと
きの有名な挿話で
「一年やそこらは十分に暴れてみせましょうが、それから後のことは、なんと
もいえません」と山本大将は答えたというのです。当時、陸軍は既に中国大陸
の内陸部に戦線を拡大しており、連合国側から要求されている日本軍の中国か
らの撤兵は、「既に中国戦線で散っていった16万の英霊に対して申し訳が立
たない」という、東條英機陸相の頑強な反対で、開戦に消極的だった海軍とは
真っ向から対立していたのです。
 
あの時....「アメリカと戦争すれば、絶対に敗れます。私は軍人ですから、死
ぬのはもちろん覚悟のうえです。しかし、近衛首相もただでは済みませんよ。
また、天皇ですらどのようなことになるか保証の限りではありません。それで
もかまわぬというのであれば、どうぞ日米戦争でも勝手にお始めください」と
 
山本五十六さんが答えていたならば、いかに近衛公が物分りの悪い公卿育ちの
お坊ちゃんでも、日米戦争はやるべきでないと考えたに違いないでしょう。
それを、あのような格好いいことを言うものだから、お人好しの近衛さんは、
何とかなると思ってしまったのではないか?ーー結果、山本長官の発言が日本
の歴史を左右したことになったといえます。
 
更に言うならば....外交というより、日本政治の指導者の「先見の不明」と、
その人を選んだ人たちの資質が、明治時代と違っていたということでしょう。
 

┌--------「野太郎さんの反論より」
 
「外交とはあまり関係ない」とgosakuさん自身が言っておられるのに、gosaku
さん自身は(1)で以下のようにニッツェ氏の発言を提示し、戦前の日本外交を
非難しておられます。
 
└--------「引用終了」
 
昭和十六年の開戦時には、日本の外交努力は限界にきていました。東條英機を
はじめとして、近衛文麿や元老といわれた西園寺公望などの先見力と胆力のな
さが、無謀な勝算のない開戦に傾れこんでいったので、僕は戦前の日本外交を
非難しているのではありません。
軍部が外交(?)の実権を握り、外務官僚の出る幕はもうなかったのです。
 
┌--------「野太郎さんの反論より」
 
また(2)においては、以下のように外務省の免罪符となるべき発言もしておら
れるのですが、肝心の、1930年までに「ワシントン軍縮条約(日英同盟の
廃棄)」「パリ条約(ケロッグ・ブリアン条約)」「ロンドン海軍軍縮条約」が
締結され、適用されている(と、gosakuさん自身が述べられている)事を考える
と、戦前の日本外交は「軍に主導権を奪われる」前から滅茶苦茶だった事にな
ります。
 
└--------「引用終了」
 
「戦前の、外務省主導の外交ができたのは1930年までだった」と述べまし
た。従って、1930年に日英同盟が破棄されるまでは、軍部の圧力はあった
ものの、日本外交はほぼ正常に機能していたわけです。「軍に主導権を奪われ
る前」から滅茶苦茶だったわけではありません。
 
日本は、以前も今も対米従属の外交に専念しているとは考えられません。アメ
リカは、現在の日本の国益上から見ても最も重要な同盟国です。確かに日本は
国際的に無力だった時期はありましたが、米英の子分ではありませんでした。
 
やむを得ず不平等な条約を結ばざるを得なかったときもありましたが、一方的
に国富を吸い上げられ、牛耳られていたわけではありません。もしそれが事実
なら、世界第二位という経済大国の実現はなかったでしょう。ーー現在の日本
の繁栄は、国益に従ってアメリカの軍事的庇護の元に、世界と「等距離外交」
「全方位外交」を続けてきた外交努力の成果です。
 
┌--------「野太郎さんの反論より」
 
戻るべき場所は、「1920年以前(日英同盟)」と「1946−1981(東
西冷戦)」だと解釈します。それはいずれも、日本にとって「英米という主人
のいた時代」です。
‥‥外交は、そして外務省の任務は、このような「主人」を放逐することであ
ると私は信じます。
 
└--------「引用終了」
 
「‥‥外交は、そして日本外務省の任務は、このような「主人(米英)」を放逐
することである」と、野太郎さんは信じておられる!?そして、日本が彼らに
取って代わることですか?
ーーだとするならば..放逐された米英は何処へ行けばいいのでしょうか?
世界百数十カ国....あの国が親分であの国が子分という関係は聞いた事があり
ません。
 
戦後の日本には、国際政治、国際情勢の厳然たる現実の主要因たる「軍事」と
いう事柄が認められません、見られません。見ないで回避していくことを宿命
付けられていたということです。
軍事がらみの事象については、回避の外交、逃げの外交だったという事です。
 
この点を遡[さかのぼ]ると、戦後の憲法にまで突き当たります。もう一つは、
戦後の日本が、独自の政治的価値観を外交の中で打ち出して行くことができな
かった点です。普遍的に受け入れられている、民主主義や人権や自由について
でさえ、対外的にはハッキリ語ってはならないとされてきました。
 
民主主義の概念が統治の中に組み込まれていない北朝鮮や中国などの体制に対
してさえ、基本的な自由とか人権について発言することを一切、避けてきまし
た。この、軍事の忌避と政治的価値観の表明の回避によって、日本の外交はど
うしても自主的な駆動力のない外交にならざるを得なかったのではないかとい
うことです。
 
しかし、東西冷戦のなかでは、日本はそれなりに旗色を鮮明にせざるを得ない
状況が続きました。アメリカという大きなリーダーがいて、安全保障、つまり
軍事はそのリーダーに任せ、民主主義とか自由という基本的な価値観も、その
リーダーと共有したため、アメリカと歩調を共にすることは日本の国益に合致
したのです。
 
――「出ない杭は打たれないのか?」について:
 
今は、アジア人も欧米人もアフリカの人々も皆平等、、という考え方が普通に
なっています。どの人種が優れていて、どの人種が劣っているという差別的な
見方をする人がいたとしても、それはほんの一握りに過ぎないでしょう。
 
しかし、大戦前後までは、欧米では白色人種は優秀で、有色人種は家畜同然で
劣悪などという人種差別がオオッピラにまかり通っていました。有色人種とし
て初めて、白色人種であるロシアと戦ってこれを破った日本人の台頭を不気味
に感じはじめた欧米人が、こんな状況が全有色人種に拡がったら..という危機
感から日本人の進出を抑えにかかったのが大東亜戦争の発端です。
 
十九世紀から二十世紀にかけてのアメリカなど新興国家の台頭は正しく「出る
杭」ですが、宗主国との独立戦争はあったものの、世界中から「打たれる」と
いうことはありませんでした。それは、彼らが皆白色人種だったからです。
すべての「出る杭」が打たれたわけではなかったということです。
 
イスラエル問題は、野太郎さんの仰る通りです。僕が反論する余地はありませ
ん。
 
┌--------「野太郎さんの反論より」
 
戦後、君臨しているユナイテッド・ネーションズ(UN)とイスラエル。日本の
独立を阻害しているのはこのような組織です。これらを骨抜きにし、その牙を
抜き日本の国益を追求する為、外務省(など)の「目に見えない努力」に応援を
惜しまない、そういう話ならば私も賛成します。
 
└--------「引用終了」
 
ユナイテッド・ネーションズ=国際連盟―アメリカ主導の国際連合)と、イス
ラエル(?)が、戦後の世界に君臨している!
ーー浅学非才の僕は、初めて聞く話です。日本ってまだ独立していなかった?
‥‥うっかりしてました。日本外務省に問い合わせてみます。
 
また、ユナイテッド・ネーションズを骨抜きにするため、日本外務省が「目に
見えない努力」をしているのですか?ーーどうも常識が邪魔をして随いて行け
ません。ゴメンナサイ!
 
┌--------「野太郎さんの反論:政府開発援助を拠出する理由」
 
これは、米国や他の西側諸国の圧力によって、日本が政府開発援助を「自国

国益に反して」拠出させられたという事です。これがどうして「正当な」理由
になり得るのか?ーー私、野太郎には理解できません。
 
└--------「引用終了」
 
アメリカや、その他の諸国から全く圧力がなかったとはいえませんが、先にも
述べましたように、日本は軍事的な寄与で出来ることといえば防衛費を増やす
ことぐらいで、直接な軍事的貢献は出来ません。その空白を埋め合わせるため
に非軍事費での貢献を、という自らに課した要請が大変強くなり、その結果O
DAの金額が増える事態へと繋がっていったのです。
 
また現在、確かに、ODAを何故出すのかという理論的なパラダイムというも
のがほとんど消えてしまいました。環境問題の改善に拠出するODAなどは、
やがてプラスとして日本にも戻ってくるものですから「正等な」理由といえる
でしょう。
 
戦争に負け、或は戦争で傷ついたヨーロッパの国々と日本に対して、アメリカ
は戦後、マーシャルプランなどで援助をして非常に感謝され成功しました。
その延長としてODAがあるのですが、最近は、貧富がこれ以上広がらないよ
うにという考え方です。ーー貧困がテロの源になる、だからテロを根絶するた
めに貧困をなくそうというものです。
 
アフガンはアメリカが破壊したのだから、アメリカが再建の責任を負うべきだ
とはいわれますが、戦争で破壊される以前からアフガンは、産業といえばケシ
の栽培ぐらいで、貧困に喘いでいた国です。
麻薬撲滅の観点からも、ODAによって経済成長を促さなければならないと思
います。ーー日本の国益ばかりに拘っていては世界の仲間入りは出来ません。
 
――「野太郎さんの反論:裏切りの傷跡」
 
「暗号の解読よりも、組織的な裏切り者が日本の軍部内にいた」という仮説を
僕は信じたくありません。野太郎さんの....推理の飛躍ではないでしょうか?
 
当時、日本外務省が使用していた外交上の暗号電報は、一年前からアメリカの
「暗号解読班」の手によって徐々に解読され、1941年(昭和16年)の4月
頃からは「暗号書」を「暗号解読機」で解読して、駐米日本大使館よりも早く
その内容をすべて入手していました。
 
この、解読された「暗号電文」はマジックと呼ばれ、大統領以下、国務長官、
それぞれの軍の長官ら、極限られた小数の者たちの間に配布されたいました。
これに対し日本海軍の「D」にあたる最高の極秘暗号は、アメリカでは「JN
−25」と呼ばれていましたが、日米開戦以前には、ついにこれを解読するこ
とは出来なかったようです。
 
しかし、電信の内容は不明であっても、各艦船より電波が発信すればその艦船
の発信位置だけは特定できます。更に各艦船に設置されている無線機にはそれ
ぞれ個性があって、主要旗艦の特徴が分かれば、その電波をオシログラフにか
けることにより山本長官のいる「長門」や機動部隊の旗艦「赤城」の発信位置
を知る事が可能でした。
 

                        = この稿おわり =
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◆感想やご意見をお待ちしています。 ojindesu@hotmail.com
 http://form.tok2.com/home/Chinachips/otayori.html
 
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「自虐史観の枷を解く」収載ページは ▼ こちら!
 http://chinachips.fc2web.com/repo1/015gosaku.html
 
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┃▼▽ おしらせ! ▽▼

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│♪│ 突然ですが、2005年≪ WEB 熱線 ≫新年オフ会 at 南通開催!
└─┘
 
日時は?:1月8日(土)午後7時―9時。十中の十、二次会あり!
 
どこで?:日本料理「福岡」南通市段家覇路10号
     予約名→「アジアの街角から」
 
 
店の電話:0513−552−5280
携帯電話:0513−585−4140
 
誰出席?:ZASSO さん・ OJIN 。
 
要多少銭:特になし..じゃないな..割り勘!
 
申し込み:ojindesu@hotmail.com までメールください。
     当日の飛び入り参加も歓迎します!!
     二次会のみ参加希望の場合は、必ず携帯電話番号を報せて下さい。
 
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┃▼▽ マレーシアナウ(現在) ▽▼          by 坪内隆彦さん
 
☆ 格安航空エア・アジアの急成長 ――――――――――― 2005/01/07
 

マレーシアの新興航空会社エア・アジアが、超格安運賃を武器に快進撃を続け
ている。ーー同社の低価格は、徹底したコスト・ダウンによって実現した。
 
まず、航空券には機内食は含まれていない。新幹線のように、スチュワーデス
が有料で食事や飲み物を販売して回る。機内にはモニターテレビや新聞、機内
誌もない。また、座席は全て自由席である。通常の搭乗券も発行しない。予約
・購入の際のレシートが搭乗券代わりになる。
 
徹底した価格追求により、従来の航空運賃からは考えられないような料金を設
定した。同社のホームページには、「クアラルンプール〜ペナン」9.99リ
ンギ(約300円)といった破格のチケットも紹介されている。まさに、近距離
のバスやタクシーのような料金である。
 
同社を率いる最高経営責任者(CEO)のトニー・フェルナンデス氏は、もとも
と音楽業界で活躍していた人物。エア・アジアはDRBハイコム傘下企業だっ
たが、2001年末に米ワーナー・ミュージック傘下のトゥン・エアに買収さ
れ、ワーナーのASEAN地区副社長を経験したフェルナンデス氏がCEOに
就いたのである。
 
エア・アジアは、格安運賃を実現するためのビジネス・モデルとして欧州最大
の格安航空会社ライアン航空(アイルランド)のやり方を採り入れた。ライアン
航空で運航責任者を務めていたコナー・マッカーシー氏を相談役として迎え入
れている。
 
ライアン型のビジネス・モデルが成功した要因のひとつとして、マレーシアの
インターネット普及率の高さがある。予約から発券までのコストを、インター
ネットによって大幅にカットすることができたからである。
 
格安に惹かれる若い世代を中心に、順調に販売を拡大、2004年6月期決算
の売上高は、前年比19%増加した。同年11月22日には、マレーシア証券
取引所一部に上場、機関投資家向け公開価格1.25リンギに対して、初日の
終値は1.40リンギ。その後も約1ヶ月で25%上昇した。
 
同社は、現在クアラルンプール国際空港(KLIA)からマレーシア国内14ヶ
所、国外8ヶ所に週合計322便を運行している。さらに、ジャカルタ〜オー
ストラリア、中国本土向け航路など、航路拡大を進めている。
 
こうした急成長に、マレーシア航空(MAS)は一時警戒感を強めたと言われて
いる。確かにマレーシア国内路線では、低価格のエア・アジアがシェアを拡大
しつつある。
 
KLIAの開航に伴い、2002年7月に事実上閉鎖されたスランゴール州の
スバン空港の再利用については、依然両社の対立が続いている。エア・アジア
はスバンの再開を求めている。スバンを格安航空専用、KLIAをフル・サー
ビスの航空会社専用と位置づけ、両空港が異なる役割を持つことによって、と
もに地域の航空拠点となり得ると主張する。
 
これに対して、MASはあくまでKLIAへ集約すべきだという。2ヶ所に分
散することは、アジア域内のハブを目指すKLIAの地位を下げることになる
と主張している。
 
こうした対立があるものの、エア・アジアの台頭は、長期的にはマレーシアの
航空産業の発展に重要な役割を果たすのではないだろうか。同社は、超格安運
賃を実現し、「NOW EVERYONE CAN FLY」(誰もが飛べる
時代に)というキャッチフレーズを掲げた。マレーシア国民にとって飛行機を
身近なものにした点で、エア・アジアの格安運賃は、航空市場を拡大する役割
を果たしたといえるだろう。
 
また、エア・アジアの台頭により、これまで政府に保護されてきたMASは、
本格的な競争の時代を迎えた。それによって、MASはオンライン予約の強化
に向かうなど、競争力確保のための取り組みを積極的に進めるようになった。
 
さらに多様なニーズに対応した航空サービスが揃うようになったともいえる。
料金を最優先したり、カジュアルな雰囲気を好む人がいる一方、旅の快適さや
豪華さを求める人もいる。選択肢が広い方が消費者にはありがたい。
 
MASは、エア・アジアに対して、価格競争で対抗するのではなく、旅客機の
内装のグレードアップなど快適さを徹底して追求しようとしている。2004
年10月には、MASのアフマド・フアド社長が、「われわれは常に利用者の
利便性、快適さを向上させることを考えている。座席やオーディオ・システム
など、様々な設備を変える予定だ」と語っている。
 
チャン・コンチョイ運輸相が「それぞれの得意分野における業績拡大を望んで
いる」と述べている通り、両社がそれぞれの持ち味を活かして、相互補完的に
発展していくことが期待されている。既に両社は、当初の対立を克服して協調
路線に転じ、提携関係を結ぼうと模索している。
 

                        = この稿おわり =
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◆感想をお待ちしております。 ojindesu@hotmail.com
 http://form.tok2.com/home/Chinachips/otayori.html
 
┌──────────
│坪内隆彦さんのプロフィール:

│ジャーナリスト。拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センター主任研究
│員兼創立百年史編纂室編纂委員・(社)日本マレーシア協会理事・マハティー
│ル研究会主宰。

│1965年生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、日本経済新聞社に入社、貿易記
│者クラブ(日本貿易振興会記者クラブ)担当記者として通商問題などの取材に
│あたる。1989年退社後、フリーランスで取材・執筆活動に入る。

│1991年に「国連における大国協調の光と影」で佐藤栄作賞(国際連合大学協
│賛財団懸賞論文優秀賞)を授賞。
│1994年に『アジア復権の希望マハティール』を、1997年に『キリスト教原理
│主義のアメリカ』を、1998年に『岡倉天心の思想探訪』を上梓。

│『日馬プレス』で「マハティール十番勝負」を、
│『月刊マレーシア』で「明日のアジア望見」をそれぞれ連載中。
└──────────
 
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「マレーシアナウ(現在)」は ▼ こちらに収載!!
 http://chinachips.fc2web.com/repoas/05malaysia.html
 
「アジアの声」▼ 坪内隆彦さんのホームページ。
 http://park5.wakwak.com/~asia/
 
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┃▼▽ 読者の広場 ▽▼
 
┌──────────「十八子松戸さん:2005/01/01」
 
OJINさん、皆さん、あけましておめでとうございます。
 
学識のない私ですが、昨年一年は皆様のご投稿から大変勉強になりました。
特に OJIN さん、毎度私の拙い日本語ご添削頂きまして改めて深謝します。
さて、
昨年は、日本中でもこのMMでも、中国に対する良い雰囲気ではなかったです
が、これは--日本側が間違っているとはいえませんが--ただ、中国という巨大
な国、悠久な歴史を考慮して頂き、目の前の事ばかりより長い目、大きな寸法
で見てほしいという、今年の、一読者の私の希望です。
 
政治に翻弄されて、苦難の少年・青年・中年前半を過ごした私は、実に政治が
大嫌い、無関心の類ですが、中国は生まれた祖国、日本は現在の祖国、という
立場・感情から、本当に仲良くしてほしいと願う一心です。
 
私は、天秤の真中に立って両祖国に面しています。反華でも、反日でも、私は
両方ともに断固反対します。良い気持がしません。
ただ、
批判は歓迎します。確かに、昨年の投稿の中で、中国のマイナス面を暴露した
ものは勿論全然問題がありません。今の中国政府も、だんだん違う意見を容認
できるようになったそうですから「大陸で働いているHAJIMEさんやZASSO さん
の身に危険が及ばないよう」などということは絶対にあり得ないと思います。
ただ、
「中国はなんといっても大きな国ですから、小回りが利かないのは止むを得な
いでしょう」ーーという事実を正視して頂きたいのです。
 
私が大尊敬する田原総一朗氏の、昨夜の徹夜討論番組にもこのような発言があ
りました。「江」から「胡」に替わったばかりで、従来の方針を一気に180
度変えるのは無理で、日本も、言えなかった時から、言える立場へ転換できた
のかもしれませんが、時期とはタイミングが合っていないことに大きな原因が
あるのかもしれません。
 
確かに日本は、前の戦争の件で頭が上がらなくてずっと大きな声が出せなかっ
たです。特に日中国交回復して以来、一部「親中派=自民党最大派閥が中心」
の動きのせいで、日中間はいつもウヤムヤとなっていました。
 
「江」の訪日時に、やっと小渕首相が日本政府として初めて毅然とした態度を
取りました。実は、最初からこのような態度を取っていれば、日中間の懸案は
幾つか解決していたことでしょう。しかし、中国新旧指導部交替という肝心な
時期に、日本は見極めず、強硬路線を大いに推進したのは如何なものですか?
 
ご存知のように中国は「面子」民族ですから、前の指導部の方針をチェックし
ながら少しずつ変える可能性があるのに、ドンドン突っ込まれて、反撃しない
と国内の世論などに対してどう釈明するのですか?
 
特に周知のように、前任の「江」は日本に対して決して友好的ではなかったか
ら、もう少し「胡」に時間を与えて困らせないようなやり方ならば、今のよう
に対立、膠着の局面にはならないでしょう。
 
以下の添付した情報は、今の指導部の本質が少しでも見えると私は思います。
 
ご存知のように、改革開放の開明的指導者「胡耀邦」は大親日家です。三千人
日中青年大交流を促進しました。三千人という数字は、秦始皇帝が徐福に連れ
させた少年少女の人数です。これらの三千の少年少女が日本に残って子々孫々
(今の日本国民の一部)へ繋がったのは根拠の無い伝説ではないと思いますーー
こうした意味から、何千年前からの日中友好交流をもう一度盛り上がりましょ
うと。
 
トウ小平は本当に中国を変えたと思いますが、4つの偉大の人脈、信者の勢力
が余りにも大きく残っていたために、性急な改革ができなかったです。でも、
改革は断固推進しました。保守派の反対の矛立を避ける為に、上海ではなく、
何もない深セン[土+川]で開発区をテストしたのにも1つの思惑が伺えます。
 
胡耀邦と趙紫陽は、トウ小平の左右腹心ですが、改革実行者として保守勢力の
目の釘のような存在でした。トウ小平は、バランスを取るために時々やむなく
保守勢力とある程度妥協をしなければなりません。
 
しかし性急な改革派は、学生を煽動して「反腐敗」等をスロ−ガンにして大騒
ぎました。ーー天安門広場で連日いろいろやりました。
勿論是は皆正義ですが、結局収拾できなくなりました。国の安定を最優先する
という判断で、仕方なく極端の手段で鎮圧に乗り出し、しかし同時に趙紫陽も
解任されました。
もしあの「幇倒忙」がなければ、改革も後退しなかってでしょうし、「江」も
抜擢されることはなかったでしょう。江は、中国国内でも良い評判がない凡人
です。自分の勢力づくり専門で、この十年間何も大きな仕事もしていませんで
した。
一方、一説では、当時江を選んだのは、角[かど]のない俗人だから、保守勢力
との妥協で、その代わりに改革には余り反対しないでほしい..ということだっ
たそうです。
トウ小平思想本当の後継者は胡錦涛で、一説ではトウ小平の(政治の)秘蔵っ子
だそうです。トウ小平は、胡耀邦と趙紫陽を(諸葛孔明と同じ)涙を流しながら
切ったのですが、以下の情報から分かるように、当時、共青団「3胡」は有名
です。――胡耀邦と胡啓立と胡錦涛。
 
つまり、胡耀邦が実現できなかったことを、トウ小平は胡錦涛に託する謀略で
す。ですから、江はこの十年間、上海閥を作っても胡錦涛を排除できませんで
した。大人しく禅譲せざるを得ませんでした。
 
胡錦涛は、就任したばかりですぐ早速胡耀邦の名誉を回復させました。趙紫陽
の名誉回復はもうすぐ、天安門の再評価もそんなに時間がかからないという話
が耳に入りました。今の中国腐敗現象などは、江の時代にできたことです。
 
しかし、日がまだ浅く、新しい政策を作ろうとするところ、人事面もまだまだ
足元が固まっていない内に、日本の強硬対応で中々対応し切れなくなる状況に
追いこまれた。しかしそれでも、
日本に対し、歴代の中国政府に比べると割合冷静に対応しています。例えば、
潜水艇も素直に認めたし、
「李登輝氏の訪日から既に3日が経つ。中国は、李登輝氏が日本で問題のある
行動を取ったかどうか気づいたか。日本に対する中国の態度は最近比較的冷静
だが、中国の対日政策に変化があったのか 」等等、
このような変化に日本は気がついていないのですか。
 
ーー最後にひと語言わせて頂くと、
19年の在日中、私が見たこと、聞いたこと、体験したこと。
 
一部の日本人は、強い態度に対しては弱い、自分より弱いものを苛めるという
癖があるようです。ーー4つの偉大時代には「打倒日本帝国主義・軍国分子」
「日本鬼子を許さない!」等を国家政策としていたが、真正面から闘った日本
の政治家、国民は何人いました?
ーーそれなのに、いまこんな(比較的)大人しい中国新政府に対してガンガンい
うのはどうなのかな?ーーと..私はいつも思っています。
 
これは「酷い中国政府」を体験した者からの声です、、、。
 
焦らないで下さい。中国も民主国家になります。
批判は鞭撻として、攻撃ではないよう、新年の私からのお願いです。
 
長い駄文、もうしわけありません。
気分は情報無限さん、レス、ありがとうございました。
 
┌--------「現代中国ライブラリィ 人物事典:北京ヴァイオリン」
 
改革開放の開明的指導者:胡耀邦 こ・ようほう Hu Yaobang 1915―1989
 
元党主席・総書記。湖南省瀏陽生まれ。党の青年組織である共青団第一書記、
陝西省党委第一書記などを歴任したが、文革が始まると、1967年に実権派
と批判され失脚。文革後は、75年科学院副秘書長、77年党中央組織部部長
中央党校副校長。78年政治局委員。79年中央宣伝部部長を経て、80年に
党総書記に就任。
党中央組織部長時代には、右派分子の名誉回復を精力的に行っている。
 
78年12月の11期3中全会以後、ケ小平の元で文革の清算と改革開放政策
が進められる中、80年9月、党主席・首相だった華国鋒は経済政策や文革へ
の姿勢などを批判されて首相を辞任し、その後継に趙紫陽が就任していたが、
さらに81年6月に党主席も辞任すると、党主席に就任した。
 
82年9月には、党規約改正によって党主席制が廃止されて総書記制が導入さ
れると、党トップの総書記に就任し改革開放路線と自由化路線を打ち出した。
この頃、胡啓立(政治局常務委員)ら、胡耀邦を中心とした共青団グループが、
改革派として活躍。
現総書記の胡錦涛も胡耀邦に連なる共青団出身である。86年5月には「百花
斉放・百家争鳴(双百)」を再提唱して、言論の自由化を推進した。
 
しかし、9月の6中全会では、胡の政治改革は棚上げされ、逆に保守派主導の
「精神文明決議」が採択され、胡は保守派、長老グループらの批判の矢面にさ
らされた。
こうした状況を背景に、安徽省合肥から始まった学生デモは、北京、上海など
全国に波及。方励之、劉賓雁、王若望らの党員知識人が、学生デモを積極的に
支持した。
 
胡耀邦は、ついに翌87年1月の政治局拡大会議で辞任を強要された。罪状は
集団指導原則に対する違反と「ブルジョア自由化」に寛容だった為とされた。
11月には、胡耀邦の後任として趙紫陽が総書記に選出された。
 
89年4月15日に死去。胡耀邦追悼と民主化を叫ぶ学生デモは激化し、五・
四運動の70周年記念日にあたる5月4日には、北京の学生・市民10万人が
デモと集会を行い、6・4天安門事件へと発展した。
ここで趙紫陽総書記も、学生運動に同情的な発言を行ったため失脚。
 
胡耀邦は、国民から愛された開明的指導者だった。長老・保守グループの批判
さらにはケ[トウ]小平の政治的引き締めの要求にも応じなかったため、最後は
解任されたが、中国はその大きなツケを、天安門事件として支払うことになっ
た。83年11月に訪日、中曽根首相と首脳会談。
 
:2003年1月30日作成
 
└--------
 
gosakuさんやHAJIMEさん、他の皆様からご意見を頂けますと大変嬉しいです。
 
└──────────「この投稿はここ ▼ に収載:時事問題喧喧諤諤」
            http://chinachips.fc2web.com/argue/050107.html
 ▼
┌──────────「gosakuさんから」
 
「十八子松戸さん」遅まきながら、明けましておめでとう御座います!
 
全国組織ではないので、十八子松戸さんはご存知ないかもしれませんが「日中
手をつなぐ会」という民間親睦団体があり、長野県や愛知県で主に活動してい
ます。もともとは、中国残留孤児を言葉と生活の面から支援するボランティア
団体でしたが、最近は範囲を広げて、中国人全般に日本語を教えたり生活指導
などをしています。
僕は、支部幹事をしている関係で彼らと話をする機会が多くあります。
 
そんな中の一人の陳さんと、暮れの忘年会で隣り合わせになり、いみじくも彼
の話をじっくり聞くことができました。
 
彼の両親は大学教授でしたが、文革時に迫害され父は自殺していまいました。
彼も高校の時に下放され、4年間も東北の田舎で農業をしていたそうです。
四年後、故郷に帰ることが出来ましたが、知識階級の子弟という事で大学受験
でまた差別され、合格点に達しているのに入学許可が出ず、死にたいと思った
そうです。
 
文革終結後、すぐ日本の大学に留学して、卒業するとそのまま日本企業に就職
し、今は結婚して日本の永住許可も取り、中国にはもう帰りたくないと言って
います。彼もそうですが、在日華人の方は政治の話はしたがりません。身の上
話はしてくれましたが、彼らとの政治討論は、まだ先のことになりそうです。
 
二つの故郷をもつ彼らにとって、今の日中政治摩擦の現状は胸中複雑でしょう
ね。
 
内閣府が先月18日に発表した「外交に関する世論調査」によると、
中国に「親しみを感じる」と回答した人が、昨年の前回調査と比べ10.3ポ
イント減の37.6%に落ち込み、1975年の調査開始以来最低となった。
「親しみを感じない」は58.2%と大幅に増加。
現在の日中関係が「良好だと思う」は28.1%(前回46.9%)に激減し
た、とあります。
 
僕も、今までかなり強硬な中国批判を繰り返してきましたが、何を隠そう熱烈
な「中国迷=ファン」なのです。中国迷ゆえに「政冷経熱」の謂われ、政冷が
経熱の足を引っ張るのではないかといわれる現状に我慢が出来ないのです。
 
しかし、反日嫌日政策の元凶江沢民から、胡錦濤に政治権力は移りました。
 
そして、これは私見ですが、中国の外交優先順位も、先の1.大国外交、2.
周辺外交、3.途上国外交、から、1と2が入れ替わって周辺国との関係強化
に動き出したと思える動きが顕著になってきました。
六者協議や、東南アジア諸国とのFTA(自由貿易協定)の推進などです。
 
外交の目標が変わったことで、日本の位置付けも変わってきました。自国の発
展と地域安定のためには、どうしても日本との協力が不可欠ですし、台湾問題
などを抱える中国にとって、日本をアメリカ側へ追いやるのは得策ではない。
それが、先日の胡錦濤の「中日関係は世界で最も重要な二国間関係の一つ」と
いう発言に繋がっているでしょう。
 
靖国問題など、歴史問題はもちろん無視できませんが、新指導部の考えは、前
指導部とはやはり違う感触です。江沢民は1926年生まれで、日中戦争の苦
い思い出を持っています。その後は、戦後日本の復興や平和主義を理解するこ
となく、再び日本と接したのは80年代に入ってからでした。だから彼にとっ
ての日本のイメージは、侵略戦争と経済大国です。
 
しかし、胡錦濤も温家宝首相も1942年生まれで、日中戦争の体験はありま
せん。そして、80年代の胡燿邦時代に世に出て、その間、日本人の友人を多
く持ち、戦後日本の変化をよく理解しています。極端にいうと、前指導部では
「親日」を見つけるのが難しかったが、新指導部では「反日」を見つけるほう
が難しいのです。
 
しかし、冷え込んだ日中間の政治関係、なかでも中国での反日感情の高まりは
両国間の経済関係にも影を落し始めています。日本では対中ODA見直しの声
が挙がっています。また、東シナ海の天然ガス田の開発や、ロシアからの石油
パイプラインの敷設ルートを巡る摩擦が起きています。
 
北京―上海間の高速鉄道計画に対して、日本から新幹線技術を導入することに
反対するキャンペーンが興っており、各国企業の入札に当って、当局も世論に
配慮せざるを得ない状態になっています。
 
日中両国の間で、真の関係正常化が実現されるためには、まず相互不信を払拭
しなければなりません。その妨げになっているのは、中国人の「日本軍国主義
復活」論と、日本の「中華思想」論に象徴される、双方の「被害妄想」です。
 
お互いが現実を見ないで、過去に作られた先入観だけで相手を推測していては
駄目です。それではいつまでも、誤解が誤解を呼ぶという悪循環から抜け出る
ことは出来ません。
 
胡錦濤は国内向けに、台湾統一に武力も辞さないと声高に呼号していますが、
もし台湾海峡で何かが起きれば、国際社会から非難され2008年の北京オリ
ンピックの開催も危うくなるでしょう。経済発展とオリンピックの成功を優先
に考えている今の中国が、武力行使をすることは考えられません。
 
└──────────
 
┌──────────「気分は情報無限さん」
 
――美龍@バリ島さんへ
 
御無事だったんですね。
スマトラ島沖地震には、年末の大掃除の際に出て来た古い「壱万円札」を少々
寄付させて頂きました。ニュース報道を見ている限りでは、地震や高潮はとも
かく、津波の経験が全く無い地域だったので被害が大規模に拡大したらしいで
すね。
因みに「TUNAMI(津波)」とは万国共通語の固有名詞になっていたそうです。
この事実からも分かるように、我が日本国は津波対策の先進国であり、最近は
インドネシアに津波対策センターを設置しようとする動きもあって日本も支援
していたそうですが、資金不足で間に合わなかったそうです。
 
日本国内での報道によると、日本主導でインド洋沿岸諸国の津波対策が実施さ
れるそうですが、当面は被災地域の復旧が優先されるでしょう。
しかしながら状況は全然楽観できないですね。今のところ確認された死者は、
約十数万人ですが、おそらく各国の最終的な死者行方不明者総数は、三十万人
(二十万人で収まるとは思えません)を超えるのでは!?と個人的に判断してい
ます。
 
でも、インドネシアはまだマシなほうですね。
スリランカの場合は、人口比でみるとインドネシアより格段に被害が大きかっ
たにも関わらず明らかに支援が後回しにされています。かわいそうな話です。
 
└──────────
 ▼
┌──────────「美龍@バリ島さんから」
 
気分は情報無限さん、ご心配いただきましてありがとうございます。
 
そうなんです、「TSUNAMI =津波」という言葉は国際認知されている言葉なん
です。
インドネシアに限らず、今回の被災地のいずれもが、津波に対する警報を発し
ていなかったわけですが、経験が無ければそれも仕方のないことだったのかも
しれません。
 
四方を海に囲まれ、火山と暮らしてきた日本人は地震対策についても津波対策
についても貴重な経験を有しているんですよね。そして、それを忘れることな
く防災訓練として生かしている。
 
私も、バリ東部で地震があった時には、学生時代の非難訓練を思い出しながら
周りのインドネシア人に対処の仕方を教えたりもしました。まさかこんなとこ
ろで、あの退屈だった訓練が役に立つとは思いませんでした。
 
津波対策センターについては、近い将来に計画が復活するかもしれません。
年が明けてからの政府の緊急会合で、津波警報メカニズムが協議されました。
詳細については一般にはまだ発表されていませんが、恐らく、日本の皆さんの
知識、経験(そして..たぶん費用も・・・)を拝借することになるのではないか
と思います。
 
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