Mail-Magazine Back Number
バックナンバー目次 アジアの街角から:記事集  迷子になったらここ!(^O^)  CHINACHIPS 総合トップ

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┃ ┌─────┐ ┌──────────────────┐ + ☆
┃ ☆ 金 曜 版 ☆  ≪ WEB 熱線 第360号 ≫2004/01/30_Fri  ++++ ☆
┃ │ (*^−^*) │ ├──────────────────┤ +☆
┃ ☆ WEB 熱線 ☆    ―― アジアの街角から ――    ++++ ☆
┃ └─────┘ └──────────────────┘ + ☆
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┌―――――――――――☆☆ 今号の目次 ☆☆―――――――――――┐

│・ごあいさつ ------ 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿

│・満州青春録 ------ 興安丸・日本が見える!! --------- by 松本進さん

│・おしらせ! ------ (=∵=)

│・教えて中国! ---- bluetooth搭載の中国の携帯電話を使って。

│・満州回顧録続編 -- 自虐史観の枷を解く(7) ----------- by gosakuさん

│・読者の広場 ------ hazukiさん。

│・あとがき -------- 明後日の日曜日号は休刊。

└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 
◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇

│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│  「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。

│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│  別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│  更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。

│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│             ___________________
│4.バックナンバーは → http://chinachips.fc2web.com/aaa.html
│      「アジアの街角から題字の右横」→「バックナンバー書庫」
◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
 

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┃▼▽ 満州青春録 ▽▼                by 松本進さん
 
☆ 興安丸・日本が見える!! ――――――――――――― 2004/01/30
 

―――― 興安丸
 
私達の乗る船は興安丸という貨物船だった。
 
この時はほとんどが軍人ばかりで、軍服を着た五百人以上が乗船した。
┌──────────
│編集部注:興安丸

│▽▽ 興安丸の錨(いかり) ▽▽
http://ww4.tiki.ne.jp/~okip/koanmaru.htm

│▽▽ 抑留者とシベリア犬クマとの哀歌 ▽▽
http://www.itci-j.co.jp/kando-01.htm
└──────────
 
エンジンの音がし始めた。
 
私は階段を五階ぐらい下の船底にいたが、船は何回か向きを変えたように感じ
られ、誰かが「ウラジオストックに向かっている!」などと言い出すものだか
ら、船内は騒然となった。
 
甲板に上がって、どちらに向かっているのか何人かが確かめに行った。船員か
ら「大丈夫、南に向かっている」と教えられホッとした。みんな戦争で生き残
り、やっとの思いで日本に帰れることになったのだ。
 
日本に帰れると思ったら....シベリア送りになった戦友もたくさんいる。
 
少しのことでも疑い深くなっているのだ。最後の最後まで、日本の土を踏むま
では油断ができないと思っていた。
 
私はそれでも、父や母や兄にもうすぐ会えると夢のような気持になっていた。
家を出てからずっと思い続けた夢の現実が目前であった。母には2年半、手紙
を出していない。私のことを死んでしまったと思っているのではないかと考え
たが、きっと待っていてくれると思うことが辛い日々の救いとなっていた。
 
「ただいま!戻んたで!」「戻んたか....よう戻んたのう....さあ上がれ」
みんなで話しながらの楽しい食事、、そんな光景を何度思い浮かべたことか。
 
次の日、玄界灘が時化た。・・午後から風と大雨でまるで台風のようだ。
 
船内放送で、危険な状態だが落ち着くように知らせてきた。甲板へ様子を見に
行った人が船室に下りてきた。
 
「あかんぜ、この船は沈む」
「船内放送で言うぐらいじゃもの。ダメかも知れん」
「山のような波が来よる!」
 
私はそれを聞いて「ここで死んでたまるか!!」と思った。
 
「泳ぐのはここにいる誰にも負けん!陸さえあれば必ず泳ぎ着く!これは陸を
確認しておかんといけん」と、そう思い甲板に上がった。
甲板は確かに水がジャブジャブで風も強かった。
 
しかし海を見ても霧のように白いものが見えるだけで、波があるようには見え
なかった。みんなにそう告げたが、みんなはその一面の霧のような白いものが
大波だという。
 
私はしばらくしてもう一度確認のため甲板に行った。さっき霧のように白く見
えたのは大波であった。私は黙って降りた。周りの何人かは船酔いでゲーゲー
吐いている。
 
「これはいかん!」・・いざ沈むとなったら船内放送がある。
 
海に飛び込めということになったら、一番先に飛び込まないかん。
 
寒いけど、服を着ていたら泳げんぞ、・・私は覚悟していた。
 
しかしそのうちだんだん雨も少なくなって、時化も治まってきた。
 
助かったのだ!!
 
船内放送で「みなさん、大丈夫です!」と知らせてきた。元気な者が、船酔い
している人の看病に当たった。
 

―――― 日本が見える!!
 
3日目は快晴だった。みんなが口々に、もうすぐ日本だと言っている。
 
甲板に上がった誰かが「日本が見えたぞ!」と叫んだ!
 
私も甲板に上がって見てみたが、日本らしき陸なんてわからなかった。
見た人は漁師か船員だったのか?それでも「どうじゃった?」と聞かれると、
「見えたような気がするぞ!」と答えていた。
 
それを聞いてみんなニッコリしている。涙もろい人は泣いていた。
 
それから数十分経って、上の方から「見えたぞー!見えたぞー!」と叫ぶ声が
再びしてきた。みんなに「見てこい」と言われ、また見に行った。
 
・・・・かすかに山のような影が見えた・・・・
 
「ばんざーい!!!!」
 
その声につられ、船内で「ばんざーい!!ばんざーい!!」という声が沸き起
こった。それから30分も経ったら、今度は誰の目にもハッキリと見えた!!
 
大勢の人が甲板に集まっている。
 
船酔いしている人も戦友の肩を借りて見ている。
 
手すりをしっかりと握り、ジッと陸を見つめている。
 
妻や子どもの名前を呼ぶ者もいる。
 
母親に呼び掛けている者もいた。
 
船の速度が落ちてきた。船内放送で船がそろそろ停泊をするので準備をするよ
うに言っている。みんなは言われなくても準備にかかっていた。
 
「バンザーイ!!バンザーイ!!」
 
あちらこちらから聞こえてくる。
 
みんな涙を流していた。
 
私も泣いた。「武やん!戻んたぜ!」....兄に呼び掛けた。
 
―― 船は静かに停泊した。それから上陸準備に三十分ほど待った。
 
―― みんな佐世保のほうを食いいるように見つめていた。
 
それからニ、三十人乗りの小さな船に乗り換えて陸まで運ばれた。
ニ、三隻の船が、行ったり来たりでこれに当たった。順番を待つが、なかなか
時間がかかった。ようやく私の番が来た!!
 
陸までは約十分ぐらいだったろうか。岸が近付くにつれ、景色もハッキリとし
てきた。ーー松の木がある。ーー竹敷もある。ーー菜の花がきれいに咲いてい
る。ーー白い蝶が飛んでいる。
 
それらを見た時「ああ、ここは日本だ!!」と、帰ってきたことを実感した。
 
ーー船着き場が近づいた。ーー岸に黒い顔の人が見えた。ーーアメリカの兵隊
だった。ーー黒人を見るのは初めてだった。ーーアメリカの兵隊が進駐してき
ている。ーーやはり戦争に負けたのだ。
 
船着き場に着き、陸に上がった。
 
荷物をその場に置くとジャツ一枚になれという。白い粉(DDT)が頭に、首に
かけられた。伝染病を防ぐための消毒だという。
 
それからトラックに乗せられ、山を越えて十五分ぐらいのところにある元兵学
校に連れていかれた。ここでも部屋を割り当てられ、帰国の手続きやいろいろ
の調査があり汽車の順番を待った。
 
ここで戦犯がいたら、アメリカ軍に引っ張られることになる。
書類を何枚か書かされた。みんな日本に帰ってきたことを知らせる手紙を書い
ていたが、私はわざと書かなかった。
 
この2年半も手紙を書いていないのだから、佐世保に帰ったことを知らせるよ
り、イッペンに驚かそうと思った。
 
四、五日経って佐世保から汽車に乗った。帰るまでの旅費として、佐世保に着
いた時一人千円ずつ支給された。
 
尾道に着くと、どうやら祭りらしい。幟が何本も立ち、神興が出ている。
 
ワッショイ!!ワッショイ!!ワッショイ!!ワッショイ!!
 
賑やかな祭りの様子に、永年思い続けた故郷西野を思った。
故郷の祭りに迎えられたような気持になって、高浜行きの船に乗る。
 
瀬戸内の汐の匂いがした。ーー潮風を体いっぱいに受けて、実際には2時間半
程かかったはずなのだが、アッという間に高浜港が見えたように感じられた。
 

                     = 満州青春録:つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘

◆感想やご意見をお待ちしています。 ojindesu@hotmail.com
 http://form.tok2.com/home/Chinachips/otayori.html
 
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ お便りで頂きました感想。
└─┘
┏━━━━━━━━━━「大原敬一さん」男性@八十代@自営業@北海道
 
私の親友は昭和十九年陸軍士官学校を卒業直ちに旧満州吉林省へ。
そこで航空士官の基礎訓練中に敗戦。――其の後が凄い。
 
とある駅で機関車を見つけ、それを自ら運転し朝鮮国境を越えて釜山まで来て
乗り捨て、命からがら日本に戻って来たという。
其のとき、彼は私と同じ十九歳です。
 
┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」
 
――満州青春録☆石ごたつ・帰国命令2004/01/23を読んで
 
第二次世界大戦中のヨーロッパ東部戦線で冬将軍に襲われたドイツ軍兵士が、
まともな防寒装備が無いので止むを得ず焼いた煉瓦をボロ布に包んで、それを
持って暖を取りながら夜間の歩哨に立ったという話を聞いた事があります。
 
それから和食の「懐石料理」は、断食をしている僧が飢えをしのぐ為に焼いて
暖めた石を腹に抱いた事から始まったそうです。
 
まさか満州で実践された方が居られるとは存じませんでした。
 
┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「坊主2」男性@六十代@山形
 
松本進様 本当にご苦労様でした。
 
松本様のような方があるから、今日のわれわれが生きておられるのだと思って
います。
今日、自分ひとりの努力で今を築いてきたような人がいますが、どこにいても
人間らしさを失わないで知恵を出して生きてきた人がいるから、今があるんで
すね。
 
松本様の文を読むたび、生きていくにはちえがいるんだな、と思います。
小賢しいものではなく、学歴用の学力でもない生きていく知恵を身に着けるこ
とですね。
 
今回、御著書<佳き日を生きて>を送ってもらい、恐縮しております。楽しみに
して読んでおります。でも、この青春録もまた読んでしまいます。
文が読みやすくなってますね。
 
だんだん上手になっていくのが感じられて私も励まされます。
ありがとうございます。
 
一緒に中国に行きたいです。中国生まれの連れ合いも行きたがっているのです
が、その母が91歳で、フラフラしてるので海外に行けなくてイライラしてま
す。
私は少し英会話が出来るので、中国語が出来る松本様と組んでアジアへ行きた
いです。
また。お元気で!
 
┗━━━━━━━━━━
 
松本さんの自分史「佳き日を生きて」は、その後も希望される方が続き、残っ
ていた分は終了しましたという連絡を頂きました。
尚希望される方がおられるようであれば増刷を考えますが、今度は本の原価と
送料だけはお願いしたいということでした。
 
本の外観を写しまして、目次とともにサイトページに掲示してありますので、
希望のある方はご覧になられて下さい。
http://chinachips.fc2web.com/repo4/041019.html
http://chinachips.fc2web.com/repo4/041020.html
 
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 
「満州青春録」の過去記事は ▼ こちら!
 http://chinachips.fc2web.com/repo4/041matumoto.html
 
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ おしらせ! ▽▼

┌─┬───────────────────────────────┐
│♪│ 中国で活躍する日系企業と人」掲載希望の公司や人物募集。
└─┘ http://aizax.fc2web.com/80enterprises/00100.html
 
┌─┬───────────────────────────────┐
│♪│ 中国に遊学センター!プロジェクト
└─┘ http://chinachips.fc2web.com/study/studyindex.html
 
 ── みんなで作ろう!日中友好・遊学の大っきな輪ッ!!──
 

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 教えて!中国 ▽▼
 
┏━━━━━━━━━「760さん」男性@三十代@自営業@中国
 
はじめまして。
 
いつぞや、bluetooth搭載の中国の携帯電話を使って、PDAやPCにて
インターネット接続を試みようとされている方がいらっしゃいましたが、
その後どうなったでしょうか。
 
私は今まさにそれを試みている段階なのですが、まだ成功しておりません。
bluetoothをonにするとPDAは携帯電話を認識するのですが、
「サービスがありません」というようなメッセージが出て、
「別のデバイスを検索してください」となります。
 
どなたか成功されている方いらっしゃいませんか?
 
┗━━━━━━━━━━「この質問は ▼ ここに収載」
            http://chinachips.fc2web.com/howto/030506.html
 
┏━━━━━━━━━「あゆみさん」女性@五十代@主婦@岐阜
 
いつも楽しく読ませてもらっています。
 
南通で、アパートで時間が有り余っているのでパソコンを持っていきたいので
すが、初心者でもわかるように教えてください。
 
"教えて中国"とかのページを見ても全然わかりません。
http://chinachips.fc2web.com/howto/020201.html
 
なお、これから買うとすればメーカーはどうですか?
 
┗━━━━━━━━━━「この質問は ▼ ここに収載」
            http://chinachips.fc2web.com/howto/
 
┌--------------------------------------------------------------------
│ここから----- http://form.tok2.com/home/Chinachips/otayori.html

│アレッ?!と思ったこんなことあんなこと・・・このコーナーでは、読者の
│そんな???をお待ちいたしております。 もちろんそれに対する回答も。
│どちらも、気軽にメールくださいね〜。(^o^)丿
 
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 満州回顧録続編 ▽▼              by gosakuさん
 
☆ 自虐史観の枷を解く(7) ――――――――――――――― 2004/01/23
 

―――― 私見:東京裁判の検証(1)
 
満州回顧録からソ連抑留者の手記を綴るに当たり、多くの文献を参照して来た
過程で、大きな疑問として残ったのが勝者が敗者を裁いた東京裁判を始めとす
る、東南アジア各地で行われた軍事裁判の不当性です。
 
東京裁判とは、ご承知のように、正式には「極東国際軍事裁判」といいます。
国際という名称がつけられていたために、何か国際法に基づいたものだと思っ
ている人も多いのですがそれは全くの誤解です。
この東京裁判ほど非文明的裁判はないといっていいでしょう。
 
この裁判の根拠となっているのは、占領軍が公判直前にこしらえた「極東軍事
裁判所条例」(昭和21年1月19日布告)という一片の文書に過ぎません。
 
それどころか、裁判官と検事がグルになっているのだから、これは裁判とすら
呼べるようなシロモノではありません。
 
検事が全て戦勝国の人間であるというのはまだしも、裁判官もすべて戦勝国か
その植民地国の出身で、中立国の人間が一人もいないのですから、つまりこれ
は裁判という名を借りた復讐の儀式です。
 
たとえて言ってみれば、暴力団Aと暴力団Bが抗争し、A暴力団が勝った。
 
このAという暴力団の若頭十数人がB暴力団の幹部を裁いたとすれば、それが
そっくり東京裁判の構図だと思えばいいでしょう。
なにしろ中立の裁判官を入れるという発想がなかったのですから。
 
1947年=昭和22年)5月1日と2日、山形県酒田市の酒田市商工会議所
を臨時法廷として東京裁判の証人にたいする出張尋問が行われました。
 
特別列車8両を仕立てて東京からやってきた一行は、ニュージーランド代表の
ソースクロフト判事以下、検事、弁護士、通訳その他で総勢85人に及びまし
た。彼等が目的とした証人の名は石原莞爾(元)陸軍中将です。
┌──────────
│編集部注:石原莞爾(いしわらかんじ)陸軍中将。

│▽▽ Navigator of the Historical term より ▽▽
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/
│ kaisetsu/jinmei/ishihara_kanji.html

│山形県出身の陸軍軍人で、昭和陸軍最高の戦略・戦術家。

│陸大卒・ドイツ留学の経歴を持つエリートで、昭和3(1928)年、関東軍
│作戦主任参謀として満州事変を主導「満州国」建設を推進。同じくエリート
│だった統制派の東条英機(陸相、後に首相)と戦争政策方針で対立し昭和16
│(1941)年予備役へ編入、左遷された。

│彼は熱烈な日蓮主義者で、来るべき「世界最終戦争」(日米両国による最終
│決戦−ハルマゲドン)での日本勝利の為、アメリカとは少なくとも十年は戦
│わないという、所謂「十年不戦論」などの独自の戦争論を展開した。

│参考資料:▽ 石原莞爾 恒久平和の使徒 ▽
http://homepage1.nifty.com/taku-nakajo/sakusaku/2_1.htm
└──────────
 
―― 石原中将は、持病の膀胱炎が悪化して自宅で病床に伏していました。
 
一人の人物の証言を得るためにこのような大勢での出張尋問が行われるという
のは極めて異例のことでした。
 
その頃、東京裁判は満州事変の審議に入り、その中心人物であった石原の証言
が極めて重要視されたのです。石原は陸軍士官学校、陸軍大学を抜群の成績で
卒業し、戦略戦術の才能では他に並ぶ者がないといわれました。
 
満州事変当時、石原は関東軍参謀でしたが、排日運動の激化により日本の立場
が苦しくなったことから事変を計画、実行しました。当時満州にいた軍閥の張
学良軍は33万3千人。それに対し関東軍は1万1千人でした。
 
なんと33倍に及ぶ敵と戦い勝利を収めたわけです。石原の戦術がいかに優れ
ていたかわかると思います。石原の名前はこの事変を通じて世界中に知られる
ようになりました。
 
―― 石原は独自の世界展望を抱いていました。
 
世界の戦争の歴史を研究し、技術力の発展が「世界最終戦争」を生むと考えま
した。それはアメリカと、日本を中心とするアジアとの間で戦われるようにな
るというのです。
 
そのためには、日本と中国の権益が衝突する満州問題を解決して日本、中国、
満州の提携を実現し、それを基礎に東亜連盟を結成してアメリカに対抗しよう
と考えたのでした。
 
それ故石原は、後に生じたシナ事変=日中戦争)に対しては反対の態度をとり
続けました。欧米諸国のアジア侵略の実態を見据えてわが国の将来の戦争を考
えていたのです。
 
―――― 酒田臨時法廷において石原は冒頭、
 
満州事変の中心人物は自分なのに、何故戦犯にしないのかと裁判自体の偽りを
つき裁判官を慌てさせます。そして、満州事変を起こさざるをえなかった当時
の状況を説明し、自衛のための行動であったと主張しました。
 
その間、尋問に当たる検事の主張の矛盾を指摘するなど、石原の独壇場の感が
ありました。満州国建国が悪質な犯罪であるならば、その首謀者こそ真っ先に
訴追されるべきであろうと主張し、
 
終了後、傍聴していた記者が石原のもとに駆け寄り「将軍の言葉を聴いて、私
は日本人として初めて胸が晴れました。こんな嬉しいことはありません」と涙
を流して語ったといいます。
 
満州国のことについて、石原将軍しか知らない情報もたくさんあるはずだから
何をおいても石原将軍を戦犯として指定しなければ、これは話にならない。
ところが、極東軍事法廷の検察団は彼を訴追するどころか、形式的な審問をし
ただけでした。
 
―― ではなぜ、連合国側は将軍を東京の法廷に呼ばなかったのか。
 
確かに将軍は病気を患っていました。
だからといって発言が出来ないような体調ではなかった。
 
--石原将軍は東京裁判の開始から3年後、即ち裁判終結の翌年60歳で死亡--
 
巷間伝わるところによれば、将軍は「もし証言台に立てるのであれば、裁判官
や検事たちに堂々と“日本の言い分”を述べてやる」という趣旨のことを語っ
ておられたといいます。
 
石原莞爾といえば、日本陸軍最高の理論家と謳われ、欧州戦史を独自分析して
「最終戦争論」という本を書いた人で、おそらく将軍が東京法廷に出廷してい
たら、その当時の日本が置かれていた国際情勢から説き起こして、日本の立場
を説明してくれたのではないかと思われます。
 
もちろん、もし、そんな証言をされれば、連合国はたいへん困ったことになっ
たでしょう。
 
そもそも東京裁判は「日本は犯罪行為を犯したか」ということを調べるための
裁判でなく、最初から断罪するつもりで始めたものです。
それを今更、被告の言い分など堂々と開陳されてはたまりますまい。
 
石原将軍が訴追されなかった背景には、そういう判断もあったと思われます。
 
石原の態度はアメリカ人記者にも感銘を与え、夜、石原の宿舎で2時間半に及
ぶインタビューがおこなわれました。石原は原爆や都市の無差別爆撃を命じた
トルーマン米大統領こそ第一級の戦犯であることなどを鋭く指摘しました。
 
この記事はアメリカの新聞に掲載されました。
 
石原の堂々たる自己主張の姿は、東京裁判という勝者の裁きの下で卑屈になっ
ていた当時の日本人に、大きな勇気を与えたのでした。
 

                = 自虐史観の枷を解く(8)へ続く =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘

 「自虐史観の枷を解く(7)」を読んで、
 
◆−このとおりだと思う
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/a.cgi?q00018887a71 >
◆−そうではないと思う
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/a.cgi?q00018887ae2 >
◆−どちらともいえない
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/a.cgi?q00018887a53 >
◆−‥‥よく分からない
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/a.cgi?q00018887ac4 >
■途中経過・最終結果を見る
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/a.cgi?q00018887a00 >
■コメントボード
┗< http://clickanketo.com/cgi-bin/cb.cgi?q0001888728 >
 
☆締切:2004年02月02日18時00分
★協力:メールマガジンをおもしろくする《クリックアンケート》
         →→  [ http://clickanketo.com/ ]
 
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘

◆感想やご意見をお待ちしています。 ojindesu@hotmail.com
 http://form.tok2.com/home/Chinachips/otayori.html
 
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ 前回のアンケート結果。
└─┘
◇ このとおりだと思う --------------------------------- 48人  (83%)
◇ そうではないと思う ---------------------------------  4人  ( 7%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------  4人  ( 7%)
◇ よく分からない -------------------------------------  2人  ( 3%)
 
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ コメントボードに頂きました感想。
└─┘
―――― ご返事が間に合わなかった分につきましては、順次お応えさせて頂
きます。
 
┌--------「中村雅人さん」
 
まったく同感です。
世にいう(中国が言ってるだけですが)南京大虐殺は、物理的にもありえない、
と確信します。
 
└--------
 
┌--------「山岡さん」
 
私の叔父(母の姉のご主人)は既に亡くなっていますが、南京に行っています。
便衣兵の話をしていました。
 
昼間、にわとりとタマゴを売りに来る。そしてそれが実はスパイであり、その
夜に夜襲をかけられる…だから、一般人と兵隊の区別がつかなかった…
 
でも、南京でこれを主張しても聞いてくれる中国人はいない。
----私は南京でも6年ほど仕事をしていました。
 
また、私の前の妻のおばあさんは日本軍が上海に侵攻したときに身ごもってい
た子どもを流産したために、その後の人生に苦労の多かった人ですが、日本軍
よりも国民党軍のほうが怖かったと話していました。
 
└--------
 
┌--------「クルミちゃんさん」
 
強者は何でも理屈が通るというのは、いつの時代も同じ。
 
└--------
 
┌--------「ミカの赤い服さん」
 
gosakuさん、こんにちは。
 
なんと言おうと、米国は実戦で核兵器を使った唯一の国です。
わざわざ人口が集まった都市を爆撃して大量虐殺を繰り返したのも米国です。
 
結局、日本が戦争に負けた事と白人でなかった事から、理不尽な東京裁判が行
われたのでしょうね。
 
└--------
 
┌--------「保守良識派さん」
 
世の中に冤罪ほど辛いものはありませんね。
死者に鞭打つ文化は中韓の思想です。
 
ところで毎日+朝日の、南京での「百人切り」虚構記事の裁判はどうなったの
でしょうね。
 
└--------
 
┌--------「気分は情報無限さん」
 
日本では全然話題になっておりませんが、数年前に広島の原爆ドームが「世界
遺産」に登録されてしまいました。
さらにアメリカのブッシュ政権は新型核兵器の開発を進めています。
 
他方、経済成長を続ける中国にとって「便衣隊」で国民党政府と日本国の共倒
れを狙い、意図的に無関係な一般大衆を犠牲にして対日戦争へ追いやった過去
は何としても隠蔽したい筈です。
 
以前に韓国で「従軍慰安婦」が問題になってから、数年を経ずして韓国経済は
崩壊しました。
中国の分裂及び内戦も近いのではないでしょうか?
 
└--------
 
┌--------「kimio iguchiさん」
 
状況証拠という形でしか、文献紹介を読むしかない状況であり、且つ又、物理
的な考察から、30万人ともいわれる死者をどう処置したのかの明らかな説明
を見ることができないので、どうも誇大な作り話と考えられる、と結論付けて
いる現状です。
 
具体的な証拠に基づく反論が無い限り、私たち日本人は国民の誇りとしてさほ
どの残虐性はないと考えていてよいのではないでしょうか。
 
└--------
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ お便りで頂きました感想。
└─┘
┏━━━━━━━━━━「たろおじさん」
 
――「坊主2さん」へ
 
私の思うところ、戦争絶対反対の「坊主2さん」は、最も戦争に近いところに
おられるように考えます。
絶対反対は究極の主張ですから、それを押し通そうとすると必ず戦争(武力に
よる意思の強制)に行き着きます。
 
悲しいことに、人の数だけ正義がありバカの壁があります。
自分は正義で他人はバカで不正義で無知だ・・・と考えるのが人間です。
 
仏教思想には「絶対反対」のような言葉は似つかわしくないように思うのです
が。因果がめぐる世界を正しく受け止めて、観ずる事により無駄な???スト
レスをためないようにしよう・・・というのが、本旨(の、少なくとも1つ)だ
と理解しています。
 
中近東発生の正義の宗教=イスラム・キリスト・ユダヤ教)とは全く異なった
もののように思うんですがね。
 
信仰することで絶対的に保護し、不信仰者は地獄に落とし?てくれるスーパー
マンの神様というのは、ご経験していただければわかりますが、身をゆだねる
と快適なんですよ。
 
なんせ、あの世での永遠の快適生活まで保障していただけるのですから、究極
の永久就職の感覚になります。
会社のためならなんでもやるさ・・・の日本人以上ですよ。
 
悪い指導者が活用すると、人間奴隷爆弾を無料で沢山作ることが出来ます。
 
┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」
 
あくまでも個人的意見ですが、私と同世代の人間は戦争に関して非常に冷めた
考えを持っているような気がします。だからサイレント・マジョリティーに分
類されてしまうのでしょう。
(私より)もっと若い人達の考えている事は、残念ながら全く分かりません。
 
そもそもマスコミで声高に意見を主張する人ほど辻褄の合わない事ばかり言い
ます。政府や与党の見解は明らかに詭弁ですが、それを追及する野党は未だに
「反対の為の反対」を繰り返しています。
 
大体「拉致問題」一つ取り上げても、事実関係を詳細に調べたなら野党の現職
国会議員で死刑を求刑されてもおかしくない人は何人いるのでしょうか?
 
ましてや「イラクへの自衛隊派遣」に関しては日本国政府が派遣を決定して既
に引き返せない処まで来てから皆で反対運動を始めたように思えます。
 
過去数十年を振り返っただけでも、平和憲法擁護云々は過激派にテロの口実を
与えていたとしか思えません。本当に護憲を主張するなら、憲法第九十六条も
考慮すべきですし、個々の自衛官の家族(子供が学校で教師からイジメに遭っ
ている?)の基本的人権も尊重すべきです。
 
誰も本気で真剣に平和を求めてはいないのです。
ただ単に、利権になるから!目立ちたいから!!叩きやすい人間の責任追及で
大騒ぎして「ゆすり」「たかり」を繰り返し、自らの無責任な行為の責任逃れ
をする為に「反体制」「反権力」と開き直っているだけ。そうかと思えば最近
「ポチ保守(小林よしのり氏の指摘)」なる自称愛国者も出現した模様です。
 
我ながら物凄いニヒリズムですが、これが正直な気持ちなんです。
 
恐らく、そう遠くない将来に我々は丸腰で自主的に紛争地域へ赴く事になるで
しょう。何故なら武器を所持した「自衛隊」が駄目ならNGOやボランティア
が行くしか無いですよね。
たぶん志願しない若者は就職や社会保険でペナルティーが課せられる事になる
筈です。
 
┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「sakuさん」男性@四十代@会社員@北海道
 
いつも愛読させていただいております。
gosakuさんの説明を聞いて、私の歴史観が大きく変わろうとしています。
私は、理由があって今満州国時代を遅まきながら色々勉強しております。
その理由はまた別の機会に説明させて頂き、ご助言をいただけたらと思ってお
ります。
 
さて、知識不足を露呈するようで恥じ入りますが、2つほど分からない点があ
りますので、ご教示いただけたら幸いです。
 
1.先ず、なぜ日本は満州に手を出さなければならなかったのかという点。
 
国民を守るために満州事変(直接の原因はともかく)が発生したということです
が、それ以前に、なぜ日本は満州という地に国民を移住させるような手の出し
方をしたのでしょうか。
 
そこにはやはり軍の覇権主義や金権目的などの無茶な思想があったのでしょう
か。やはり他人の地に手を出すようなことを最初に行ったのは、日本ではない
のかという疑念があります。
 
2.もうひとつは、なぜ満州にいる国民を見殺しにするような軍の引き上げ方
  をしたのでしょうか。
 
軍隊と同時に国民を引き上げるとロシアに気づかれるため、軍隊のみ引き上げ
たのかもしれませんが、そうだとすると本当に許せない気持ちになります。
 
日本が戦争をしたのにはやむを得ない状況があったにせよ、戦争の目的が自国
民を守ることからすれば、これは最低最悪の犯罪ではないのかと思います。
 
自国民を何をおいても救助し、そして最低限の犠牲で撤退することに努力をし
なかったのであれば、やはり戦争犯罪として裁かれるべきだと思います。
この点はgosakuさんの説明を何度読んでも(記述していないだけなのかもしれ
ませんが)納得がいきません。
 
知識不足な私の質問ですが、gosakuさんのご教示をいただければ助かります。
何卒よろしくお願いいたします。
 
┗━━━━━━━━━━
 ▼
┏━━━━━━━━━━「gosakuさんから」
 
 saku さん、ご愛読有難うございます。
 
人間あの世に籍を移すまで勉強です、学ぶのに遅いということはありません。
私の私見(持論)を参考に納得できる結論を出して戴ければ幸いです
 
―― 1.先ず、なぜ日本は満州に手を出さなければならなかったのか。
 
 saku さんの疑問にお答えするには、遠く1904年の日露戦争に遡ってその
背景からお話しなければなりません。
 
明治維新によって近代国家に脱皮した日本にとって、白人国家である欧米列強
の帝国主義、中でもロシアの南下政策が脅威として常に意識されていました。
 
ソ連は帝政ロシア以来、一貫して南下政策をとり続けてきました。北に位置す
るこの国は、冬凍らない港を持たない。不凍港を求めて南へ進出しようとする
のは、あの国の国家的衝動といってもいいものです。常に策をめぐらし、仕掛
けをして南への進出を図っていました。
 
世界地図を広げて見ましょう。
 
日本の西には、日本海を隔ててロシアがデンと控えていますね。そのロシアが
蒙古、満州、さらには朝鮮半島への進出を窺がって、国境の軍事力を強化して
いる。帝政ロシアも、そのあとに誕生したソ連も大国です。その影響力が次第
に日本に近づいてくる。これが近代国家として歩き出した日本にとって大きな
脅威だったことはお分かり頂けると思います。
 
明治生まれの人たちは、自分達の手で自分の国を作り出したという実感をもっ
ていました。明治の人たちにとって、国はまさに自分達の作品だったのです。
その愛する日本列島に、ユーラシア大陸から朝鮮半島がドスのように突き出し
ています。
 
その朝鮮半島を伝って、不気味な勢力が北からヒタヒタと迫ってくる。
 
そのことを脅威に感じる、これまた極めて自然な感情だったのです。この脅威
を少しでも小さくするにはどうしたらいいか。日本とソ連の間に独立した近代
国家が存在すれば、脅威はいくらかは和らぐ。そのために日本は李王朝が統治
していた朝鮮に働きかけました。
 
しかし李王朝の朝鮮は、当時中国を支配していた清朝に従属的な姿勢をとり続
け、一向に近代国家に脱皮しようとしませんでした。
 
その摩擦から起こったのが、1894年(明治27年)の日清戦争です。
 
日本はこれに勝利し、翌1895年に講和条約が調印されて遼東半島が日本に
割譲されました。日本には遼東半島を領有して中国大陸に橋頭堡を築き、ロシ
アの南下政策に備える意図があったのです。
 
ところが、フランス、ドイツ、ロシアの三国が、日本の遼東半島領有はまかり
ならぬ、放棄せよ、と干渉してきた。これが三国干渉といわれるものです。
 
当時、この三国は中国大陸に権益を拡大しようとしていました。だから日本が
遼東半島に出てきては具合が悪い。そこで三国が足並みを揃えて干渉してきた
わけです。
ーーだが、当時の日本にはこの理不尽な干渉を撥ね退ける力はまだ無かった。
 
日清戦争に勝ったとはいえ、当時強国だったフランス、ドイツ、ロシアを相手
に武力で対抗するには、まだまだ弱かったのです。だから、涙をのんで干渉を
受け入れ、引き下がるほかありませんでした。
 
そのころしきりに「臥薪嘗胆」ということがスローガンのように言われたとい
うことです。これは中国の故事から出た言葉ですが、これは言うまでもなく、
薪の上に臥し、肝を舐めて屈辱を忘れず苦しい試練に耐えるという意味です。
 
三国干渉に対する当時の国民感情が偲ばれます。
 
三国干渉の結果、清朝の勢力が退き、朝鮮半島に力の空白が生じ、そこに影響
力を強めてきたのがロシアだったのです。ロシアが三国干渉に加わったのには
それが狙いでもあったのです。李王朝の朝鮮には親ロシア派が台頭してきまし
た。それでは日本にとってますます脅威が強まることになる。
 
そしてついに1904年、日本は正面からロシアとぶつかる事になりました。
日露戦争は、日本にとって国運を賭けた一戦でした。もし負ければ朝鮮半島は
もとより日本も間違いなくロシアに取り込まれる、と伊藤博文をはじめ、当時
の大方の日本人は考えていました。
 
しかも満州はロシアに占領されたまま、日本と同盟を結んだイギリスもアジア
における勢力が後退し、ロシア、フランス、ドイツの関与が深まっただろう。
 
アメリカが、1867年にロシアから720万ドルで買ったアラスカも返還を
迫られるかもしれない。ドミノ理論でなくとも、アジアのパワー・オブ・バラ
ンスに与える影響は大きかったのです。
 
日本は、開国以来の仮想敵国ロシアと一戦を交えなくてはならない事態に至っ
て、ひとつの国としての国民意識が醸成されるようになりました。薩摩人長州
人、会津人といった伝統的な地方意識を脱し、近代国家の国民意識が形成され
始めたのは日清戦争のときからですが、日露戦争の勝利によってそれは成熟し
たといえるでしょう。
 
日露戦争での日本の勝利は、各国の勢力バランスに大きな影響を与えただけで
なく、黄色人種が白色人種に勝利したということで、精神的な面でも計り知れ
ないショックを与えました。
20世紀につくられた白人優位の観念を覆したのです。
 
この時代の、白色人種は有色人種に優越する、という観念は、戦後生まれの人
には想像できないほど大きかったのです。
 
大英博物館の壁に描かれた「人類進化図」が白人優位の考え方をよく示してい
ます。それには人類の進化はサルから始まり、黒人になって、黄色人種になり
進化の最終段階で白人になったとしているのです。
 
ーー話が横道に逸れました。
 
日本の勝利に終わった日露戦争でしたが、しかしそれでロシアの脅威が消えた
わけではありませんでした。それどころかロシア革命によって誕生したソ連の
南下政策は一層露骨になり、脅威は逆に強まってきました。
 
―― これに対抗するには日本の力を北に伸ばしていく以外にはない。
 
そして、日本は朝鮮を併合し、更に満州に進出して満州国を独立させることに
なったのです。
 
日本の大陸政策は、よく「中国侵略」として捉えられてしまっていますが、実
は日本の満州進出は敵国ロシア(ソ連)に対抗するためだったのは以上の通りで
す。
 
維新以来、日本はイギリスやドイツ、イタリアなどと同盟を結ぶことはありま
したが、日露、日ソ同盟という関係だけはありませんでした。日本の大陸政策
は支那と共存共栄することにテコズッテいましたが、根幹をなすのは、いかに
ロシアの膨張主義に対抗するかが目的でした。
 
日露戦争を戦った目的は、戦後の講和条約にもあるように「満韓に関する重大
なる問題」の解決でした。朝鮮半島でロシアを譲歩に追い込み、日本の優位を
確実なものとし、満州では義和団事件以来居座り続けているロシア軍を撤退さ
せることです。
 
列強時代の国際政治の力学や国家意識、価値観は、戦後の米ソ対立時代とはお
のずと異なります。このへんが歴史(時代)におけるものの見方の限界ではない
でしょうか。戦後の歴史学者が、自国の歴史について、まるで裁判官のような
立場で批判したり、善悪の判断を下したりするのは誤まっていると思います。
 
――そのような見解はあくまで後知恵に過ぎない。
 
その時代の価値観の限界や、時代の精神を全く考えに入れていないからです。
 
日露戦争が、大東亜戦争以上に日本にとって存亡をかけた一戦であったことは
前にお話ししました。
 
―― 開戦直前の北アジアの力関係をみると、
 
・ロシアは、全満州を占領していたばかりでなく、外モンゴルも勢力下に入れ
内モンゴルに迫る勢いであり、
中央アジアでは、西トルキスタンから東トルキスタンへ牙を向けようとし、
・チベットを勢力下に置いたイギリスと勢力範囲を確定しつつありました。
 
中国本土でも、19世紀末の露仏独の三国干渉を経て、
・ドイツが山東半島から華北地方へ、
・イギリスは華中からチベット、
・フランスは華南の広東から雲南省の雲貴高原へと力を伸ばし、
勢力範囲が確定しつつありました。
 
・一歩出遅れたアメリカも「機会均等、門戸開放」を唱えて、パイの均等分配
を求めていました。
 
このような情勢下で、世界中もまた日本が勝つとは思ってはいませんでした。
他国の目には、巨人のロシアに、身の程知らずの小人、日本が戦いを挑んでい
ると映ったのです。日本が勝つと考えた人はごくごく少数に限られました。
 
欧米人では、ドイツ参謀本部のメッケルがその一人です。彼はかつて、ドイツ
語を知らないのに、彼の講義を真剣に聞いていた児玉源太郎が参謀総長になる
と耳にし日本の勝利を確信したと言っています。
日本ですら伊藤博文自身、本土決戦を覚悟していたといいますが、日本の勝利
とみたメッケルの直感は正しかったのでした。
 
そして日露戦争を境に、東西のパワー・オブ・バランスが一変しました。
 
対立していたイギリスとロシアが接近し、中国に伸びていた西欧列強の勢力が
力を失い、西欧の中国進出は阻まれたのでした。
 

―― 2.なぜ満州にいる自国民を見殺しにするような軍の引き上げ方をした
     のでしょうかという点。
 
貴方の疑問の答えとしては十分ではありませんが、私が昨年五月から八月まで
12回にわたって「アジアの街角から」に連載させて戴いた「満州回顧録」を
読んで戴ければある程度のご理解を頂けるのではないでしょうか。
 
ーー正直な話、何度も思い出したくはない辛い過去の体験です。
 
例外かもしれませんが、1例として当時、かの地で聞いた話を紹介します。
参考にはなりませんでしょうか?
 
┌──────────
 
「バカ者!民間人を残して撤退できるか!なぜ早く彼らを避難させんのだ!」
 
―― 関東軍の国境警備隊長が顔色を変えて部下の中隊長を怒鳴りつける。
 
「ハイ!彼らはいくら説得しても承知しないのであります。
 この地を捨てて避難などできないといっております!」
 
「もう一度行って..早く避難させよ!」
 
「はい、わかりました!」
 
こんなやり取りが守備隊長室であって中隊長以下数人が開拓団のところへ行き
再度説得をしました。そんなうちにも、ソ連軍の砲声は近づき空からはソ連の
戦闘機が機銃掃射を始めています。
 
└──────────
 
――なぜ彼ら開拓団員は避難を拒否したのでしょう。
 
「農地は農民の命であり、幾年もかかって開墾し、せっかく作物ができるよう
 になった農地と家を捨てて、避難なんぞトンデモナイ!」
 
関東軍の軍事力を過信している彼らはなかなか軍の説得に応じませんでした。
 
日清戦争以来敗戦を知らない日本は神国であり、まして大本営発表は連日華々
しい戦果を報じていました。
 
しかし実態は、主な軍備を南方戦線にもっていかれ、38式歩兵銃が主な武器
の関東軍は、正に張子の虎に過ぎなかったのでした。
┌──────────
│編集部注:38式歩兵銃
 http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/rifle/38siki.htm
└──────────
 
アメリカの援助で編成されたソ連の機械化部隊と重戦車を先頭に、ミグ戦闘機
で機銃掃射を繰り返すソ連軍には全く手も足も出なく、終戦の報も知らず一部
は要塞に篭って頑強に抵抗して玉砕した部隊もありましたが、殆どの日本軍は
ただただ撤退を繰り返すのみでした。
 
なだれを打って攻め入ってきたソ連軍に、各開拓団は集団自決を迫られ、死の
逃避行に向かった人々にもまた大半が餓死と病死が待っていたのです。
 
┌--------
生まれたばかりのワシの赤ん坊は、収容所に来て間もなく死にました。
三つになる男の子は、十二月九日に飢え死にしました....。
 
あの痩せ方は凄まじい..背骨が飛び出して山のようになってしまって..乾パン
を一枚食べさせたら....何も言わずにワシの膝の上で眠るように逝きました。
それで近くの防空壕まで運んで弔いました....親としての....これが精一杯で
した。、、、、あー、あの壕に今も眠っているのか、、、、。
└--------
 
目にいっぱいの涙をためて話す一見六十歳かともみえる男は、聞けば未だ三十
歳代でした。
 
私は幸運にも電報局勤務の職員として軍の通信に協力して、命からがら丸裸で
はありましたが琿春(吉林省)から新京(長春)まで列車で引き揚げることができ
餓死寸前の時もありましたが、電電本社の手配で最低生活はなんとかできまし
た。
けれど組織力が薄い開拓団の方々は、逃避行の途中で栄養失調と病魔に食い尽
くされ、おまけに厳冬の冬を迎え、助かる者は少なかったのです。
 
┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「星の王子様さん」
 
南京大虐殺のアンケートには、申し訳ないと思いながら"どちらともいえない"
に投票してしまいました・・。
 
僕の世代(団塊世代直後のシラケ世代)の
南京大虐殺に対する意見をまとめてみます。
 
――○ 昭和後半世代の戦争認識
 
評価:噴火できなかった死火山?!
    
・25万人虐殺については、デマだと確信する人が99%。
 
・旧軍には、岡村中将をはじめとする人格者が多数いた事実や、
 多くの若者が八紘一宇を信じながら戦死して行った事も認知。
 
・大陸で少数の日本人不心得者が大暴れしていた事実に大ショックも。
ーー「悪魔の飽食」の影響か。
    
・また、中学生時代に友人の爺様たち(旧陸軍軍人)から
 残虐行為を直に聞いてしまったために「疑似経験」も豊富。
 
・フォークブームをバカにしながらも再来を喜んでいる。
 
―― 反戦を唱えつつ、好戦的な不条理を抱えている世代。
    
―― しばしば愚連隊の標的にされるので注意。
 
┗━━━━━━━━━━
 
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 
「満州回顧録」収載ページは ▼ こちら!
 http://chinachips.fc2web.com/repo1/015gosaku.html
 
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 読者の広場 ▽▼
 
┏━━━━━━━━━━「hazukiさん」
 
けんさんの記事・・・だけでなく、
今までの記事を見ていてふと思ったのですが、
 
中国の皆さんは不法入国までして出稼ぎして故郷に錦を飾ってますね?
出稼ぎするほどなのだから、実家はそれほど裕福ではないのでしょう?
 
それなのに、その実家がある日突然「会社ビル」のような豪邸を建てても、
政府は何も言わないのですか?
そのお金がどこから手に入ったかとか調べられたりしないのですか??
 
┗━━━━━━━━━━「hazukiさんのメルマガ ▼ 既婚者のための恋愛術」
            http://www.mag2.com/m/0000118552.htm
 ▼
┏━━━━━━━━━━「(^^) OJIN です(^^)」
 
これは OJIN が答えたほうがいいかな。
 
ーーまあ、地方によっても事情は若干異なるでしょうが、
 
まず「不法入国までして出稼ぎ」に行くためにはかなりの元手が必要です。
元手、即ち紹介者への紹介料、実務実行者への手数料、どんな手段であれ渡航
費用、等々。刑事通訳実録のプロローグにも書かれておりますように、
 
┌--------
――"蛇頭"に払う手数料が日本円で300万円。
 
300万円というのは、勿論日本人にとっても大金だが、単純にGDPを比較
した場合、この数字は中国人の年収の30倍である。
└--------
 
では「それほど裕福ではない」人々がそんな元手をどうやって作るのか?
同じく刑事通訳実録のプロローグに書かれているように、
 
┌--------
目標は2年間で借金の返済(この300万円は全て親類縁者知人からかき集め
てきた高利の借金である)。
中国人密航者の一つの特徴は、彼が一族に選ばれた金儲けの代表選手であると
いうことだ。
3年目以後が蓄財。計画通りなら約四年で一生不自由しない金が稼げる。
現に成功者は身の周りに居る。失敗者もいるがその成否は約80%。
└--------
 
20%の確率で失敗して貸金がパーになるワケですから、そりゃ高利になるの
も当然、、で、成功した場合、高利の分け前に与かった"親類縁者知人"はこれ
はもうゼッタイなんにも文句なんか言わない。
 
そうじゃない同じ地区の人々は?役人は?
 
"金儲けの代表選手"として海外(‥日本だけとは限りません‥)へ渡ったことは
みんな知っています。ーーそこで出てくる“助け合いもたれ合い習慣”。
要(かなめ)、要(かなめ)のポイントには当然それなりの"モノ"が配られる!
 
――かくして....「調べられたりしない?」疑問は解消しましたでしょうか?
 
┗━━━━━━━━━━
 
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ みつけよう面白・有益メルマガ ▽▼
 
┌─────────── (^O^)

│ ●○ こんな言葉に騙されるな!-恋愛の戦で勝ち抜く方法- ○●


│ 言葉は自分の意志を伝える為のコミュニケーションの重要なアイテムです
│ が、同時に、相手を自分に都合良く操作するための戦略アイテムでもあり
│ ます。
│「恋愛」という戦で勝ち抜く自信はありますか?


└→ http://melten.com/osusume/?m=17128&u=6254
 

│いままで紹介してきたメルマガ達が勢揃い!してますヨ〜 (^○^)
http://groups.msn.com/ChinaNantong/page9.msnw
└───────
 
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ あとがき ▽▼
 
―― 明後日の日曜日号は休刊させて頂きます。
 


ではまた、ホントに愉快な月曜日号!で、お会いいたしましょう!(^o^)丿
 
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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