| Mail-Magazine Back Number |
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
┃ ┌─────┐ ┌──────────────────┐ + ☆
┃ ☆ 金 曜 版 ☆ ≪ WEB 熱線 第357号 ≫2004/01/23_Fri ++++ ☆
┃ │ (*^−^*) │ ├──────────────────┤ +☆
┃ ☆ WEB 熱線 ☆ ―― アジアの街角から ―― ++++ ☆
┃ └─────┘ └──────────────────┘ + ☆
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
┌―――――――――――☆☆ 今号の目次 ☆☆―――――――――――┐
│
│・ごあいさつ ------ 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿
│
│・満州青春録 ------ 石ごたつ・帰国命令 --------------- by 松本進さん
│
│・おしらせ! ------ (=∵=)
│
│・教えて中国! ---- bluetooth搭載の中国の携帯電話を使って。
│
│・満州回顧録続編 -- 自虐史観の枷を解く(6) ----------- by gosakuさん
│
│・読者の広場 ------ (=∵=)
│
│・あとがき -------- 春節の第2日目。
│
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
◇―――――― 新しい読者の皆様、ようこそ!! (^o^)丿 ――――――◇
│
│1.週3回・月水金のお届けですが、月→水→金 という流れではなく、
│ 「月→月」「水→水」「金→金」というサイクルになっています。
│
│2.タイトルは同じですが、月曜日号・水曜日号・金曜日号は、それぞれ
│ 別々のマガジン、と理解してもらったほうが分かり易いと思います。
│ 更に頻繁不定期で「アジアビジネスの現場から」号が配信されます。
│
│3.ライター兼編集発行の私OJINと数人のライターさんで執筆しています。
│ ___________________
│4.バックナンバーは → http://chinachips.fc2web.com/aaa.html
│ 「アジアの街角から題字の右横」→「バックナンバー書庫」
◇―――――――――――――――――――――――――――――――――◇
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 満州青春録 ▽▼ by 松本進さん
┃
☆ 石ごたつ・帰国命令 ―――――――――――――――― 2004/01/23
―――― 石ごたつ
私は一生懸命に働いた。
数日して、負傷兵が増えたため収容しきれなくなり、もっと奥地(塑州)へ移動
することになった。私たちはその移動先では宿舎がないので、学校の先生をし
ている朝鮮人の家に泊めてもらって、そこから薪運など雑役の仕事に通った。
その時、ふとしたことで肩に怪我をした。
山下君が薬をつけてくれたが、付け過ぎたのと薬が合わなかったため、顔まで
腫れ上がってしまった。熱も出てうなされるありさまだ。食事もできず寝たき
りで、みんな仕事に出かけてしまうと水さえも自分で飲むことができない。
本当にこのまま死んでしまうと思った程私は衰弱していた。
その家の奥さんは、たまたま子どもを出産した後で家にいたが、言葉が全く通
じない。私は何も食べられなかったが、このとき漬け物が食べたくて奥さんに
頼んだ。しかし言葉がわからず、手振り身振りで説明しても他の物を持ってく
る。
諦めて目をつむっていたら母の顔が浮んできた。
しばらくして奥さんが「これ?」というふうに、キムチ(白菜)の大きいままを
見せた。私はうなずいて涙がこぼれた。・・おいしかった。
それを食べてから力が付いたのかだんだん治ってきた。病気が治るとその家か
ら山手の方にある病院に移ることになった。小高いところで眺めは良かった。
電気のないところだったので、毎日電柱を建てるための穴を掘った。ちようど
寒い時で土が凍っている。土の下1メートルは凍っているので、氷を解かすた
めたき火をしながら少しずつしか掘れない。
みんなで、一日かかって電柱一本を建てるのがやっとであった。ここでは病人
がよく逃げ出した。てんかんの発作が起きるのだ。水てんかんといって、発作
がおこると水を求めて走り出す。
濡れるとズボンの裾も凍るような水の中にでも構わず飛び込むのだ。水の中に
入ったきり出てこないので、私も仕方なく水の中に入り連れ出すのである。
私は足が速いのでよく追いかけた。とにかく寒かった。部屋の中も寒さは厳し
い。
外でたき火をして身体を温めて部屋に入り、そのまま毛布にくるまり、みんな
が身体を寄せ合い眠った。
ある時、私はたまたまた焚火の後に石が熱くなっているのに気が付いた。
それを布で巻いて毛布に入れると、ポカポカと温かい。早速みんなに教えると
大評判で、看護婦さんたちも、中国人達までが真似をするようになった。これ
が石ごたつだ。この石ごたつを思いつくニ、三日前、夢の中に父が出てきた。
父が火を燃やしているのだ。焚き物をどんどん入れて、それを父が燃やしてい
る。火の中に石のようなものを入れ、それを棒でつついている。父は私に向い
て「おまえもこってへ来てあぶれや」と言った。そんな夢だった。
石ごたつを思い付いたのは偶然かもしれないが、私はその時、父のお陰である
ような気がしてならなった。
この病院に負傷兵がどんどん入ってくる。私はその中にリーさんがいないかと
ても気になった。リーさんはあの日から突然に姿を見せなくなっていた。
その訳もわからないまま、あの時脱走した七名に帰国命令が出された。時間の
猶予もない中、大急ぎで私はリーさんに手紙を書いた。
「いろいろお世話になりました。ありがとうございます。突然帰ることになり
ました。戦争が終わって平和になったら、また会いましょう。さようなら」
リーさんは以前、私はいずれは日本に帰るであろうが、平和になればまだ会い
ましょうと約束して指切りをしたことがあった。リーさんが来たら渡してほし
いと頼んだが、その手紙がリーさんに届いたのかは今でもわからない。
―――― 帰国命令
捕虜として加わっていた八人のうち、脱走を企てた七人に帰国命令が出た。
脱走を企てたことにより、真の協力者ではないと見なされたための処置であろ
う。この後朝鮮戦争が起ったことを考えると、真の協力者でない者を軍の内部
にかかえておけなかったのではないかと思う。
また、我々の親に会いたい気持を汲んでくれたのかもしれないが、定かではな
い。
誰と別れを惜しむ間もなくトラックに乗せられ、半日かかって新義州に着いた
。途中、日本の工場の技術者も帰されることになり、家族とともにトラックに
乗り込んできた。
新義洲で汽車を待つ間、中国の方へ連れていかれるのではないかとみんな不安
だった。汽車が動き始めて北を向いて走っていないか心配だったが、誰かが大
声で「南だ!南に向いている!」と叫んだので嬉しかった。
技術者の家族は荷物もたくさんあり、子どももいるので汽車の乗り降りを助け
し`座席も座れるように気を配った。
平壌駅からさらに汽車でニ日かかって、興南という港町に着いた。
技術者の家族からお礼だといってお金たくさん貫った。そこで船を待つ間、学
校の教室のような部屋を割り当てられた。そこにはソ連兵がたくだんいて、そ
の監視のもとニ週間ほどそこで船を待った。
収容所では演芸大会などもあったが、帰れると思ってからの2週間は胸も高鳴
り、とても長く感じられた。
食料はコーリャンが主食で、大根や白菜を炊いたものがほとんどでたった。
たまに地元の魚師の獲ったカニを一人一匹ずつ配られ、それは本当においしか
った。待っているあいだに「歌を習いに行こう」と誘われて行くと、そこでは
「異国の丘」の歌と踊りがみんなに教えられていた。
踊りはすぐ忘れてしまったのだが、歌は歌詞が我々の心境にまさしくぴったり
で、すぐに覚えられた。
後年「異国の丘」が日本で流行した。その歌には聞き覚えがあった。作曲家の
吉田正先生が戦後まもなくソ連の方で作って、興南まで引き揚げて来てみんな
にこの歌を教えたらしい。大勢の日本の捕虜達に歌われたことを聞き、私も現
地で習ったのだと感慨深かった。
また、ソ連軍による社会主義の勉強する集まりが外の広場や講堂で時たま開か
れた。ここでは戦後社会主義の勉強をした日本人が、ニ千人以上の人の前で、
自分の信念を熱っぽく語るのを見て、それがとても魅力的に見えた。
話の内容も、労農学校の井手から聞いていたことや、八路軍で勉強したことも
あって、私には何もかもよく理解できた。戦争に負けて、今までの日本に多少
なりと疑問を持っていた。
八路軍では捕虜である私にも、共に働くからといって給料をくれた。しかし、
日本軍の捕虜の扱いはどうであったか。まるで虫けらのごとき扱いであった。
そんな経験から私自身、何が正しいのかを自分の目で判断するようになってい
た。
船が港に着く数日前にはそのことが告げられ、私達は故郷を思って興奮して眠
らなかった。そしていよいよ明日、船が出ることが決まった。
故郷の懐かしい人達の顔が胸に広がった。
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ お便りで頂きました感想。
└─┘
┏━━━━━━━━━━「ハヤブサさん」男性@七十代@静岡 2004/01/23
熊岳城という土地の名前が偶然見つかり、拝見させていただきました。
私は陸軍少年飛行兵15期です。
昭和19年、熊谷陸軍飛行学校を卒業、即、満州の溝幇子の部隊に配属、99
式襲撃機をマスター、其の後、遼東半島の大連に近い三十里堡の飛行部隊に転
属、部隊名は15353部隊。
ここでお話の中に度々出てくる97式戦闘機で2〜3ヵ月訓練、その後北上し
て熊岳城の飛行場に移り、戦闘部隊として隼の訓練。
海岸が近いので浜辺に仮想の船を建設して、毎日隼に250キロの模擬爆弾を
積み特攻の訓練、その他にも襲撃隊の任務である超低空の訓練も欠かさず、厳
しい訓練が続きました。
訓練のない日は、よく駅の近くまで外出して、近くにあった陸軍病院で温泉に
入って日頃の疲れを癒したものです。
現在でも同期生の会合は毎年1回はあり、当時を思い出しながら懐かしんでお
ります。
私は、幸か不幸か特攻部隊の抽選には当たったことは無く、この後、龍江省の
鎮東飛行場に転属、ここでも余り長い期間は居ませんでした。
この後は青山堡の飛行部隊、更に勃利の飛行部隊に転属、航空士官学校の生徒
の操縦助教として勤務。
――此処で忘れもしません、8月7日にソ連の参戦により初空襲をうける。
当時は97戦の改造練習機しか置いてなく、応戦する力が無い。
止む無く私たち助教達が集まり、実戦機を手に入れるために奉天の800部隊
=我々の本隊)に行こうという事になり、数人で部隊を離れ列車に乗る。此れ
が運命というものか、
林口を経て新京まで来たときに終戦を知り、奉天〜四平街を経て釜山まで逃避
行、釜山よりは密航船で帰国した次第です。
松本さんの自分史「佳き日を生きて」には、台湾やフランスなどの海外からも
希望が寄せられました。
尚、松本さんからは、今回はまだ余分があるので贈呈させて頂きます、という
ご返事を頂いています。
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
── みんなで作ろう!日中友好・遊学の大っきな輪ッ!!──
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 教えて!中国 ▽▼
┃
┏━━━━━━━━「760さん」男性@三十代@自営業@中国 2004/01/23
はじめまして。
いつぞや、bluetooth搭載の中国の携帯電話を使って、PDAやPCにて
インターネット接続を試みようとされている方がいらっしゃいましたが、
その後どうなったでしょうか。
私は今まさにそれを試みている段階なのですが、まだ成功しておりません。
bluetoothをonにするとPDAは携帯電話を認識するのですが、
「サービスがありません」というようなメッセージが出て、
「別のデバイスを検索してください」となります。
どなたか成功されている方いらっしゃいませんか?
┏━━━━━━━━━「あゆみさん」女性@五十代@主婦@岐阜
いつも楽しく読ませてもらっています。
南通で、アパートで時間が有り余っているのでパソコンを持っていきたいので
すが、初心者でもわかるように教えてください。
なお、これから買うとすればメーカーはどうですか?
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 満州回顧録続編 ▽▼ by gosakuさん
┃
☆ 自虐史観の枷を解く(6) ――――――――――――――― 2004/01/23
―――― 私見:南京大虐殺の真相(3)
南京大虐殺という煙が生み出された五番目の"種火"は「便衣隊」の存在です。
この便衣隊を日本軍が処刑した事実が捻じ曲げられ、或いは誤解されて「一般
人に対する虐殺」という話になったのです。
――シナ大陸いおける戦争において、日本軍が最初から最後まで悩まされたの
が便衣隊でした。
これは、いわゆるゲリラ兵です。軍服を着用せず、一般人のなりをして日本の
兵士や居留民を襲うのです。現在のイラクに駐留するアメリカ軍が最も恐れて
いるテロ攻撃をみればお分かりになる筈です。
戦場においてゲリラから狙われることほど恐ろしい事はありません。漸く制圧
したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾がとんでくる。
「すわ敵兵か?!」
と思って探しても、そこにいるのは善良そうな顔をした人々だけ、、、或いは
かわいい少年少女だと思って油断していると、突然懐から拳銃が出てきて撃ち
殺されたり、爆弾を投げられたりします。
このようなことが繰り返されると、たちまち兵士は神経がおかしくなります。
周囲にいる人すべてゲリラの思え、あらゆる物陰に敵が潜んでいると思い込む
ようになります。
ベトナム戦争のとき、多くのアメリカ兵士が戦場神経症になったのはそのせい
です。今又イラクで同じようなことが始まっています。祖国に帰還しても後遺
症が続き、正常な市民生活が送れない体になったという悲惨な例は数え切れな
いほどです。
しかもゲリラ戦は、やったほうの国民も不幸にします。それは、相手国の軍隊
にしてみれば誰が敵か敵でないかの区別ができないから、すこしでも疑いがあ
れば殺すしかないのです。
ベトナム戦争でもソンミ村の事件がおこりましたが、ゲリラ戦をはじめると、
無辜の市民にまで犠牲が及ぶ事になるのです。
だから、いかなる理由があっても、ゲリラはやるべきではありませんし、それ
をやった人を許してはならないというのが国際社会の常識なのです。
したがって、ハーグの陸戦の関する国際規約(1899年のハーグ平和会議で
採択。1907年第2回ハーグ平和会議で改定)では「交戦者」であることの
要件を厳密に定めています。
その重要な点は、次の三つであります。
1.遠くからでも識別できる軍服を着ていること
(市民の服装、つまり[便衣」は許されない)
2.武器は外から見えるように携行すること
(たとえば、拳銃も体の外に吊るし懐に入れない)
3.団体の場合、かならず指揮者、つまり責任者がいること
(バラバラの勝手な行動は許さない)
この三点を守らずに武器など持っている者は、山賊、海賊、野盗とみなしてよ
いという事になります。
南京において犠牲者とよばれている人たちの多くはこの便衣兵であり、そうし
た活動を命じた蒋介石の責任は重い。便衣隊は捕虜になる資格がないのです。
―――― なぜ東京裁判で南京虐殺という話が突然出てきたのでしょうか。
結局のところ連合国は、日本軍も残虐行為をしていたという事実が欲しかった
のだろうと思います。
――先に申し上げたように、東京裁判は全く非文明的な裁判でした。
そもそも、法曹常識上全く根拠のない裁判であり、しかも勝者が検事と裁判官
を兼ねるという裁判とは名ばかりのシロモノでした。これは裁判の形式を借り
た“復讐の儀式”に過ぎないものです。
このようなイカサマ裁判をもっともらしく見せるために必要だったのが「南京
大虐殺」であったのではないか。
誰の目から見ても人道に外れた事を日本軍がやっているとなれば、東京裁判で
一方的に日本を裁くことも正当化されると考えたのでしょう。
しかも、もう一方の敗者であるドイツは、アウシュビッツなどでユダヤ人虐殺
をやっていました。だから、ドイツとバンランすをとるためにも「何か大虐殺
が必要だ」と思ったではないでしょうか。
そしてありもしない大虐殺が騒ぎたてられたというのが真相でしょう。
実際、連合国の思惑は見事的中し、日本人ですら「南京で大虐殺をしたのだか
ら裁かれてもしかたがない」と思うようになりました。
ーーその誤解は今でも続いています。
しかし本当に残虐であったのは、日本と連合国のどちらだったのでしょうか。
アメリカは原爆を広島と長崎に落としました。前者はウラニュウム爆弾、後者
はプトニュウム爆弾であり、二度も落としたのは、実験のためであったといわ
れています。
広島では20万人以上が死に、長崎では7万人以上の人が死にました。
これらの人々の殆どは民間人です。もちろんアメリカは原爆を落とせば、主と
して一般人が被害に遭うことは十分に分かってやっているのです。
アメリカは、日本が降伏寸前であることも知っていました。
遠からず日本が白旗を掲げるのを知っていながら、あえて原爆を落としたのは
一体何のためでしたしょうか。
まさに虐殺のための虐殺にほかならないと思います。
――また、アメリカ軍は日本の各都市を無差別爆撃しました。
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲だけでも8万人以上の一般人が
殺されました。これもまた民間人の大量虐殺ではないのでしょうか。
そのような国が、東京裁判という“復讐法廷”を開き、そしてそこで「南京大
虐殺」という根拠のない犯罪が主張されたという事実を、我々は歴史の教訓と
して覚えておくべきだと思うのです。
しかもニュールンベルグ裁判ではナチス党員だけが裁かれのに、東京裁判では
日本民族のすべてが裁かれたのです。
= 自虐史観の枷を解く(7)へ続く =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
↓
「自虐史観の枷を解く」を読んで、
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ 前回のアンケート結果。
└─┘
◇ このとおりだと思う --------------------------------- 43人 (81%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 3人 ( 6%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 5人 ( 9%)
◇ よく分からない ------------------------------------- 2人 ( 4%)
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ コメントボードに頂きました感想。
└─┘
┌--------「1日本人さん」
浅い。大変嫌な気持ちですが、まぁいいでしょう。所詮その程度のメルマガな
んでしょうかねぇ。何のためにこの程度の持論を広めたいのか、理解に苦しみ
ます。議論したいんでしょうね、きっと。
第1回分と読者からのその反響、また、あなたのコメントも読みました。
「ストレス発散」。なるほど。それが目的だったんですね。
人の死をネタにストレス発散できるあなたは立派です。長生きしてください。
中国人の前で同じことを発言されることを希望します。(決してあなたの論が
すべて間違っている、とは言ってませんから念のため)。言えないでしょ?
もちろん中国人すべてに正しい歴史観があるとはこれっぽちも思ってませんし
「反日」教育の弊害もあると思いますよ。
ストレスのはけ口は何だっていいんですよね。
たまたま南京大虐殺だっただけ。
└--------
▼
┌--------「gosakuさんから」
「1日本人さん」有難うございます、
貴方のようなコメントは私にとって大変貴重なものです。
ありがたいことでございます。
「浅い」「大変嫌な気持ち」とおっしゃる「1日本人」さんは、たぶん造詣の
深い教養溢れる清廉の士だと推察いたします。
私の推測では「気分は情報無限さん」のコメントに対する私の返事に「浅い」
「大変嫌な気持ち」とおっしゃられているのではないか?教養溢れる貴方の目
から見れば私達のコメントのやり取りは、くだらない幼稚な受け応えに映った
のでしょう。
>何のためにこの程度の持論を広めたいのか、
満州回顧録が終結以来、二十数回にわたって日本近代史の「自虐の終焉」を目
指して OJIN さんのご好意のもとに、貴方のおっしゃる“所詮のその程度のメ
ルマガ”に掲載させて戴いて参りました持論は、
決して議論をしたいわけでも個人のストレスを発散したいわけでもありません
・・念のため申し上げておきます。
貴方のコメントは、貴重なご意見として肝に銘じて今後の反省材料にいたしま
すが、大変残念なことに具体性に欠けていて、何が、なぜ、何処が、「浅い」
「大変嫌な気持ち」なのかが不明のままです。
また、
>(決してあなたの論がすべて間違っている、とは言ってませんから念のため)
>(中国人すべてに正しい歴史観があるとはこれぽっちも思っていない)、
どの個所が間違いで、どの個所が間違いでないのか、生来愚鈍な私には極めて
難問です。まことにお手数ですが、具体的にご教示を願えれば幸いです。
昨年の大ベストーセラーに「バカの壁」があります。
私としては決して壁を厚くして、自分にとって聞きたくないことには一切聞く
耳持たぬというわけではないつもりです。私の「私見南京大虐殺の真相」には
たくさんの読者から反響があり、大方が励ましと賛意のものでしたが、今回の
貴方の強烈なコメントに期待して、推移を見守っている読者もまた多くいるも
のと思われます。
読者が納得できる論拠を元にした反論で、
「アジアの街角から」の数千、いや数万読者の高評を仰ぎましょう!
└--------
┌--------「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。
論点と裏付ける証拠を1つづつ明示してあるので、とても分かりやすいです。
また、全体に通じる主張も一貫していますね。私は、この通りだと思います。
『1日本人』さんのコメントに対して:
"ストレス発散"については、gosakuさんの個人生活の話ではなく、もっと社会
的な『義憤』だと私は思います。
日本の国が、証拠もはっきりしない「やっていないかもしれないこと」で近隣
諸国と一部の自国民から非難され続けているのですから、gosakuさんは義憤を
感じられていらっしゃるのでしょう。
だから、貴方の非難は的外れだと思います。
……個人的なウサを晴らすために、毎回こんなに論理的な長編の文書を書く人
はいないでしょう。ーーお金にもならないのに。
└--------
▼
┌--------「gosakuさんから」
「ミカの赤い服さん」のコメントは私の「私見 南京大虐殺の真相」に対する
励ましと賛意に受け取ってよろしいのでしょうか?
「ストレス」という言葉を軽い気持ちで使ってしまったのが「1日本人」さん
の誤解を招く一因になってしまったような気がします。
正確に言えば、個人のストレスではありませんね。義憤というとちょっと大げ
さですが....まあ、それに近いものでしょう。
戦後六十年になんなんとして、未だに周辺の国に気兼ねをしてヘコヘコ謝罪す
る外交は、ホントにもうたいがいにしてほしい!真っ平だ!と思っているサイ
レントーマジョリティーは年配の人を中心に増加していると確信しています。
日本人が、日本だけ悪いと自分を責め立てるのはバカバカしく、却って国内に
不穏なナショナリズムの高まりを許すことになりかねない。
戦後六十年近い星霜を経て国民の認識はそこまできています。
中学や高校の教科書に書いてなくても国民はバカじゃない。
書いてない奥を国民は読んでいるということを感じるこの頃です。
└--------
┌--------「気分は情報無限さん」
援護射撃が遅れて済みません。
実は風邪をひいて思いっ切り体調を崩して居りましてね。
何にせよ「1日本人」さんの御意見は貴重ですが、嫌みで浅はかな主張なのは
否定できますまい。自分なりに一生懸命やっている人の揚げ足を取るくらいな
ら、日本人さんも御自身の確固たる意見を公表すべきではありましょう。
でないと只のオナニートークですよ!!
--------
戦争体験の無い若輩としては、年輩の方の話を伺って当時の状況を想像するし
か在りませんが、それでも納得できる理由の無い正規軍の一方的な虐殺は考え
られませんし、そもそも便衣隊が発生していた段階で明白な国際法違反です。
だからといって何をしても許されるわけではないと思いますが、東京裁判用に
捏造された「南京大虐殺」が、今現在の北京政府の外交カードとして活用され
ているのは否定できないと思います。
└--------
▼
┌--------「gosakuさんから」
気分は情報無限さん、援護射撃を有難う御座います。
心強い限りで御座います。
風邪は警戒警報です。薬に頼らず"しっかり"休んで直してください。
「え?そんな事言われなくても百も承知だって!休めない時もあるんだ!!」
「あ、そう・・・」スツレイをばこきました。(苦笑)
貴方のようなお方がいらっしゃるから、又続けてゆく勇気がでてくるのです。
今の日本は平和で、ソコソコ裕福で、60年前の大東亜戦争において日本軍が
何を目的として、どの国と戦い、勝ったのか負けたのかすら知らない若い世代
の時代です。
国の過去など知らずとも、安寧に楽しく日々を過ごせる、どうしてそんな益体
もない知識を身につける必要があるのか。
このような兆候は、貴方たちに先行する世代から徐々に顕在化しつつありまし
た。
醜悪で汚らしい歴史など、それが真実であっても敢えて見たくもない。
しかし、これは今世代の本心の片方で、別にもう一つの本音がある。
「前の戦争から半世紀以上が過ぎ、俺もあんたも生まれてこのかた戦争なんて
ものは経験せずに生きてきた・・・・平和、俺たちが守るべき平和。だがこの
国の、この街の平和とは一体なんなんだ?!」
「今、世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争・・そう言っ
た無数の戦争によって合成され支えられてきた血まみれの経済的繁栄。それが
俺たちの平和の中身だ。戦争への恐怖に基づく、なりふりかまわぬ平和。その
対価をよその国の戦争で支払い、そのことから目をそらし続ける不正義の平和
・・・・」
今世代の思いを不遜にも代弁してみましたが、「いや!そうじゃない!」と言
われる貴方「気分は情報無限さん」反論して下さいませんか!!!
国民の戦争責任についての分担論議は、またの機会に詳しく述べたいと思いま
す!
└--------
┌--------「mugaikojiさん」
[自虐史観ーー」を読んでいます。
中支の守備隊にいた私は、大虐殺の話など先任将校から聞いたことはありませ
ん。
ただ、安全な占領地であったとしても、討伐命令で出る時は、当然昼夜緊張の
連続でしたから、いわんや第一線の将兵が異常な神経状態に達するのは当然で
あり間違って暴発することもあるでしょう。
それが苛酷で悲惨な戦争状態であり、気楽な"1日本人"のような思慮などはあ
りえません。「敗戦国の歴史は、戦勝国が作る」という例えをつくずく感じて
います。ーー過去の歴史の真実を知るには、更なる時間が必要でしょう。
"平和ボケ理想論"や奇麗事で夢に浸っている日本人は、過去を批判し、そして
自己満足に堕ちるのでしょう。
└--------
▼
┌--------「gosakuさんから」
「mugaikojiさん」ご愛読ありがとうございます。
敗戦から六十年近い星霜を閲した現在、私達は、私達の街の、私達の時代の、
平和と繁栄を謳歌しています。
「あの過酷で悲惨な戦争の歴史体験を、人間として目を逸らさず、これを見据
えなければならない」
といった“論理的恫喝”(?)には、貴方のおっしゃる平和ボケ思想論者からは
反撥よりも、まず冷笑と拒絶をもって応じられるのが常でしょう。
イラクに侵攻している米兵の病気の40%が極度の緊張に耐えられなくなって
精神異常になった者たちで占められている、とは先日の報道でした。
自爆テロと、何処から弾が飛んでくるか解らない恐怖に晒された米兵は、無辜
の住民を巻き添えにして毎日多くの死傷者をだしています。
それと同じような状況が当時の支那大陸で起きていたとは考えられないでしょ
うか?・・私は幸か不幸か兵役の経験はございませんが、それに近い経験から
申しますと、一般住民に紛れ込んだ便衣兵にてこずって、虐殺まがいの事件を
起こした例はあったのでしょう。
あの異常な戦場の雰囲気を理解しようともせず、綺麗ごとの平和論を振り回し
ているノー天気な一部の人たちは、所詮オナニトークにすぎないのではないで
しょうか?
└--------
┌─┬───────────────────────────────┘
│●│ お便りで頂きました感想。
└─┘
┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」
―― 自虐史観の枷を解く(5)2004/01/16を読んで
結局のところ何をもって大虐殺と看為すのか!?という問題に行き着くのかも
知れませんが、中国大陸の戦闘全般で「便衣隊」が発生しており、かつ国際法
に無知な一般民衆が「便衣隊」に協力していたのは否定できない事実なので、
中国大陸戦線全般でベトナム戦争でアメリカ軍がやっていたのと同じくらいの
「虐殺」は在った筈です。
しかしながら、短期間で一都市における数十万人にも及ぶ大量虐殺は、当時の
日本軍の作戦能力から考えても物理的に不可能です。
ぶっちゃけた話、誰だって黙って殺される訳が無いから大混乱が起きた筈なん
ですが、そもそも「南京大虐殺」に関しては一方的な虐殺が在った!!と主張
がなされるだけで当時の現場における混乱(同士討ちや伝染病の発生など)に
関する情報が皆無です。
そもそもアメリカ軍は、日本軍兵士を数万人戦死させただけで、DDTの大量
散布をしたりして戦場清掃に大分と苦労しておりますが、数十万人もの人間を
殺害したすれば死体の処理は物凄い大仕事になります。
おまけに未だに虐殺された筈の数十万人分の遺体は発見されて居らず、肝心要
の虐殺が行われた期間も明らかにされておりません。
ですから「南京大虐殺」は何らかの政治的意図があって戦後に捏造された事件
と見為すのが自然かと思います。
が、何故そうなったかは経済大国日本から金をむしり取ろうとする隣国やら、
日本を弱体化しておきたい同盟国、そして国内の反政府勢力等の複合要因が重
なった結果かと個人的に分析しています。
┗━━━━━━━━━━
▼
┏━━━━━━━━━━「gosakuさんから」
大虐殺という以上、数十人単位ということはないでしょう。
現在の概念でいえば、百人でも、三百人でも立派な大虐殺に違いはありません
が、戦場という人"敵"を殺す(殲滅する)のが仕事であった環境下では、道端に
ゴロゴロ転がる無残な屍骸を見ても何の感傷も湧きませんでしたね。
私自身は「南京大虐殺」に参戦したわけではなく、当然この目で見たわけでも
ありませんので、現在多く出版されている関係書籍や関係者の証言を元に検証
する以外真実を追究する方法はありませんが、現在では「十万人規模の虐殺は
なかった」というのが大方の見方でしょう。
虐殺の規模に関する代表的な説は以下の通りです
1.30万人説 中国側の主張(侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館)
2.20万人以上説 南京事件調査研究会(洞富雄、藤原彰、本多勝一、笠原
十九司など)
3.約4万人説 秦郁彦
4.1〜2万人説 板倉由明、偕行者「南京戦史」
5.虐殺否定説 鈴木明、田中正明、阿部健一、東中野修道など、
▽▽ 以下は、gosakuの“私見”です ▽▽
現在においては、多くの史料や関係者の証言などによって研究も進み、1.の
30万人説は実証性に欠けていることが判明してきました。かつて30万人説
をとってきた大虐殺派も、20万以上説に変化し、さらに10数万〜20万に
減らす傾向です。
中国側の30万人説は、中国の政治的数値なので変化はありません。
――虐殺の規模を論ずる時、問題となるのは"虐殺"の定義です。
虐殺否定説の人は、捕虜や便衣兵を揚子江岸に連行して射殺もしくは刺殺した
のは虐殺ではなく、作戦の延長としての戦闘行為であると言い、軍服を脱ぎ捨
て民服に着替えて安全区に潜んでいた便衣兵は、国際条約の「陸戦ノ法規慣例
ニ関スル規則」に違反しており、捕虜の資格がないので殺害しても不法殺害に
ならない。――従って虐殺はなかったと主張しています。
しかし、戦場で捕虜や便衣兵を武装解除して、一旦自己の管理下に入れておき
ながら、その後、捕虜などが逃亡とか叛乱をおこしたのであれば別だが、管理
下で平穏な様子である者をわざわざ揚子江岸などへ連行して殺すのは不法殺害
にあたります。
大虐殺派の人は、包囲して敵の退路を絶ち撃滅したり、敗残兵を追撃したり砲
撃したりして殲滅するのは虐殺に相当するとしています。逃げる兵士を射殺し
たのは虐殺だと主張する根拠、「陸戦法規の第二十三条:兵器を捨て又は自衛
の手段尽きて降を乞う敵を殺傷すること」を禁止しています。
しかし、降伏の意思表示もせず逃げている敵兵は、この禁止事項には当てはま
りません。逃げて、また戦闘員として戦うからです。このような論は、当時の
軍事常識を無視した論であり、虐殺数を大きくしたいがための詭弁です。
結論として「30万人説」「まぼろし派」いずれも実証性に欠けていて、今後
とも史料発掘につとめ、学問的、実証的研究に取り組むことが肝要であると思
います。
┗━━━━━━━━━━
┏━━━━━━━━━━「坊主2さん」男性@六十代@山形
私は戦争絶対反対です。人間が人間を殺すのは金儲けか独りよがりの妄信から
来るものと思います。どちらも無知からきているものだと思っています。
もちろんイラク参戦もそうでしょう。
山形県は、長野県に次いで満州に人間をたくさん送り出しました。
特にソ連国境の寒いほうにおだてられ送り出されました。戦争末期、既に4分
の3を見放して首都もこっそり移されていましたね。軍は殆ど引き上げ国境に
残された女子どもがどれだけ悲惨な目にあったか、ハルピンまでたどり着いた
人々が綴ったノート7冊が、1977年、札幌の33回忌の供養者に届けられ
たのをご存知でしたか?
知人の合田一道氏が
<開拓団壊滅す・道新選書><検証満州1945年夏・扶桑社>
にまとめられております。
小泉やあのアホ面した防衛庁長官に読んでもらいたいものです。
満州で悲惨な目に遭った者たちの亡霊が、戦争利権屋に速やかにとり付くこと
間違いなしとみています。
┗━━━━━━━━━━
▼
┏━━━━━━━━━━「gosakuさんから」
坊さん2さんのコメントを読んで真っ先に思い浮かべたのは、満州での悲劇で
した。
日本政府の満蒙開拓移民計画により移住した開拓民と、満蒙開拓青少年義勇軍
の総数は、32万1千8百人。ほとんどがソ満国境の辺境地区でした。
1945年8月、国境を越えて怒涛のごとく侵攻したソ連軍に、集団自決をし
た開拓団....。
難民となって果てしない逃避行の中で、愛する者を失っていった阿鼻叫喚の姿
です....。
列車の中に立って、幼児を投げ捨てようとする若き母、、、、。
ボロ布のようになって毛布の端にすがり、ズルズルと引かれて葫蘆島まで辿り
ついた安堵....。
┌──────────
│編集部注:旧満州国錦州省葫蘆島(コロトウ)市=現在の遼寧省葫蘆島市。
│
│日本への引揚船が出ていた港。
└──────────
戦争はいつも神の名のもと、聖戦という美名で始められます。
ーーそして勝者が正義となって敗者を裁く。
「平和」を願望しながら、その「平和」のため殺戮を繰り返す人間の愚かさは
人間の歴史の続く限り背負わねばならない人間の業なのでしょうか。
だからこそ、戦争は悲惨なものであり愚かなものであることを身をもって知っ
た我々が、後世に伝えてゆかねばならぬ責任があるのだと思います。
┗━━━━━━━━━━
└―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 読者の広場 ▽▼
┃
(=∵=) ありませんでした。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ みつけよう面白・有益メルマガ ▽▼
┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ あとがき ▽▼
┃
今日=1月23日)は今年の春節の第2日目。
といってもこれを書いているのは22日なので春節第1日目。
例年どおり大晦日=21日)の夜中からドンドンバリバリ!!
花火爆竹の大音響が街中を揺るがせましたが....といっても年々歳々、
ドカドカバリバリが少なくなっているように感じられて、
成長と観ずるべきなのか、中華民族の特質が水っぽくなっていると
歎ずるべきなのか、、
・・複雑な思いでございます。
OJIN は、明日から田舎の結婚式に招待されておりますので出張って2、3日
留守にいたします。
ーーだからといって、お便りや感想、ご意見などをサボるようなことがありま
せんように!ヨロシクお願い申し上げます。(^^)
・
・
ではまた、ホントに愉快な月曜日号!で、お会いいたしましょう!(^o^)丿

|