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カルカッタ編(1)― チャイ屋 ―
カルカッタ。インドを旅する者なら、一度は立ち寄る街。しかし、意外と長期
滞在する旅行者は少なく、カルカッタの魅力に気付かぬままに多くの旅行者は
通り過ぎてしまう。
しかし、私はこの街に魅せらせてしまった。
私に人生を教えてくれた街、CALCUTTA。
カルカッタに立ち寄るバックパッカーが滞在するエリアは、例外なくサダル・
ストリート近辺。そして、Hotel Maria の屋上が私のねぐらだ。
一日の日課は決まっている。日の出前に起きて、朝の街を散歩する。
この時間だけは街の表情も穏やかだ。通りで眠る人々もゆっくりと動き出す。
午前6時頃、サダル・ストリートを折れて20m ほど入ったところにある路上
のチャイ屋へ行くと、今日もラムの元気な声がかかる。「グッド・モーニング
ミスター! 」 そして、爽やかな朝の空気を胸一杯に吸い込んで、のんびり
とチャイをすする。一日の始まりだ。ラムはまだ、日本でいえば小学校3年生
ぐらいの少年で、近郊の村からこのチャイ屋に一人で預けられて働いている。
でも、いつも元気一杯、素直でかわいい旅行者の人気者だ。
暫くすると、常連のインド人たちが朝のチャイを飲みにくる。そして、続々と
新聞売りや物乞いなどがやってくる。新聞売りは、昔の日本の新聞配達のよう
に、肩から沢山の新聞を下げて売り歩いている。
私は新聞を、いつも同じ新聞売りから買うことに決めていた。
少しでも、通りすがりではない付き合いをしたかったからだ。
だから、顔なじみとなった新聞売りのおじさんは、毎朝私の方へ一直線にやっ
てくる。
寝坊してチャイ屋に行くのが遅れた日など、昼間ばったり道で出会ったときに
怒られるくらいだ。「なぜ朝チャイ屋にいない!捜しまわったよ。」と、、
契約している訳でもないのに。
そのチャイ屋のある裏路地は、人力車がやっと通れる程度の狭い通りだ。
路地の片側の建物の外壁には,埋め込み式の棚がある。
上の棚を開くと、中にはお茶っ葉や砂糖壷などがあり、下の棚から灯油コンロ
と鍋釜を取り出せばチャイ屋の出来上がり。
そして路地の反対側の壁際に、板を渡してあるだけの2mほどのベンチが二つ
ある。それが、お客の座る場所だ。
写真を示せればわかりやすいのだが、つまり幅2メートルほどの道を挟んで路
上の片側にはベンチの客席、そしてもう片側が建物の外壁に埋め込まれた棚だ
けのチャイ屋なのである。
このチャイ屋の左側は、同様の埋め込み式の棚のタバコ屋。なんと、この手の
タバコ屋では、棚の中の1/4畳ほどのスぺースに店員が座り込んで商売をして
いる。右側の店は、職人技の高級服地の修繕師。修繕の技は、まるで神業。
何しろ、穴のあいた服を持ち込むと、そこにつぎを当てるのではなく、同様の
糸を織り込んでいって穴の開いた所の布を再生してしまうのである。
インド人がこれほどの技を持っていようとは、正直驚いた。
そして、その隣には井戸がある。
近所の人が水を汲んだり体を洗ったり、歯を磨いたり洗濯したり。
きっと、江戸時代の長屋の井戸端とは、こんな感じだったんじゃないかと思わ
せるものがある。この井戸端で繰り広げられるやりとりは、ほのぼのとしてい
て温かい。そしてその井戸の隣は、道端に小さな腰掛がひとつ置いてあるだけ
の露店の散髪屋である。
この通りは、ツーリストエリアにぽつんと残されたローカルエリアといった趣
きがある。
私はカルカッタ滞在中、毎日このチャイ屋に座っていた。そしてこの場所は、
私が地元のコミュニティーに触れるための窓となっていた。
このチャイ屋のオーナーは、40代後半のベンガル人。とても物静かな好人物
だ。一度、彼を誘って皆で一緒に映画を見に行った事もある。
我々にとっては頼もしい親父さんといった感じの人だ。
彼は、大体週の半分くらいは店に出ているだろうか。
だが、時には故郷の村で畑仕事にいそしんでいる時季もある。
そんな時の留守番役はシャンカール。
彼はまだまだ、地に足の着かない若者だ。
でも、こないだ結婚したばかりで、やる気は充分。きっと、そんな状況だから
金が欲しくて気ばかりあせってしまうのだろう。
チャイの値段は、はじめて行った頃は小さなグラスに一杯で1Rp(約5円)
だった。
インドのチャイは、大きな鍋にミルクを沸かし、そこに水を加えて紅茶の葉っ
ぱと砂糖を入れ、砕いた生姜や香辛料など店によってお好みのものを落して煮
込んで出来上がり。
チャイに使う紅茶の葉は、輸出用の物とは全く違うくず茶で、香りは全然ない
が、ミルクの濃い味に負けない強い苦味があるので、チャイを作るときにはこ
の葉でないとおいしくは作れない。
店によって味はかなり違う。シャンカールの作るチャイは、ミルクをケチって
水っぽいのでうまくない。奴はかなりせこいのだ。
あとは朝のメニューとして、サブジーが小皿に載って3Rp。平たく言えば、一
番庶民的な野菜カレーだ。地元のインド人の朝食は、チャイにビスケットなど
のスナックだけとか、それにサブジーも加えたりといったところが一般的だ。
だから、地元の人ならそこで朝ご飯を食べたとしても3〜5Rp程しか使わな
い。
他には、ここも一応ツーリストエリアなので、炭火であぶったバタートースト
にオニオン入りのオムレツもある。地元の人は誰も頼まないけれど。
私の場合、毎朝3時間以上チャイ屋に居るので、当然何杯もチャイをお代わり
する。大体6〜8杯くらいだろうか。それにオムレツとトーストとサブジーを
頼めば15Rpくらいになってしまう。そして、昼に1〜2杯、夜にも3〜5杯
位チャイを飲むので、毎日20Rp以上のお金をその店で使っている計算になる
だろうか。
あとの一日の出費は昼飯とおやつで15Rp、夕飯に10〜30Rp。
宿代が、ホテルの屋上の野外ベッドでワンベッド35Rp。
他にはバス代などで5〜10Rpといったところか。
だから、一日の出費はしめて100Rp位、日本円にして4〜500円位だろう
か。たまには贅沢をするにしても、一月に使う金額は、2〜3万円程。
まあ、旅行者としては貧乏旅行者と名乗ってもいいレベルだと思う。
さて、チャイ屋の仕事というのは、決して忙しいものではない。日中の暑い時
間帯は暇を持て余しているくらいだし、休憩時間だって沢山取れる。
しかし、彼らは朝の5時前から、夜の12時ごろまで働いている。
その上寝床は、昼間客が座っている木の長イスだったりする。
食事は3食付いてはいるが、このくらい働いて日給は10Rp、休みなく働いて
も月にして300Rp(約10ドル、1300円位)だそうだ。
つまり、いくら私が貧乏旅行者ぶって振舞っていても、彼らにしてみれば朝だ
けで彼らの日給以上の金額を散財し、一ヶ月で彼らの年収を上回る金額を働き
もせずに使っている気の好い金持ちのどら息子といった感じではなかろうか。
ましてや、ツアーで来る外国人などは、別世界の人間だと思っているのではな
いだろうか。
例えば2週間で30万円程度の一般的なツアーなどでも、彼らの目には2週間
で彼らの数年分の年収を使い果たすマハラジャの集団と映るのではないだろう
か。
それほどの溝が彼らとの間にあるのだから、彼らの立場に立ってみれば、外国
人旅行者から少々ぼったくってっも、何の良心の呵責を感じなくとも不思議は
ないと思う。例えば、毎日付き合っているシャンカールでさえ、ちょっと気を
許すと、すかさず余分にチャイ代を請求してくる。
油断も隙もあったものではない。
だが、それでも私は彼らと心を通わせてみたかった。
彼らの現実が知りたかった。
ある朝、チャイ屋へ行ったらシャンカールの姿が見えない。
それに、どうもいつもと雰囲気が違う。
どうしたのかと思って他の客に訊いてみると、なんと、シャンカールが店の金
を持ち逃げしたという。
600Rp足らず、約20ドル。3000円にも満たない額だ。しかし、チャイ
屋の親父さんの金を持ち逃げしたんだから、一生実家の村には戻れないのでは
ないだろうか。
このままでは将来に夢が見れなくて、賭けに出たのだろうか。だが果たして、
それっぽっちの金で彼は人生を変えられるんだろうか。600Rpさえも大金に
見えてしまうほど、彼は追い詰められていたんだろうか。
それとも、あまりの安月給に嫌気がさしてしまったのだろうか。
彼のとった行動に、私は怒ることも共感することも、はたまた哀しむこともで
きなかった。なぜなら、彼の生きている現実を、私は想像することさえできな
かったから。
私と彼の生きている世界の隔たりを改めて認識せざるをえなかった。
第050号に意味不分明部分のあるお便りを戴いた、ただゆきさんからです。
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私は台湾生まれの、台湾台北市育ちです。台湾は私の故郷と思っています。
敗戦後、中学1年の時、日本に引き揚げて来ました。
幸いにして程なく台湾の友達と連絡が取れ、以来親交をあたためて来ました。
1947年の228事件の不幸を乗り越え、1988年李登輝国民党主席(台
湾人としては初めての主席で、京都大学卒業・在学中学徒兵として出陣した)
が誕生し現在の経済大国になったことは周知のとおりです。
日本の後を追うが如く、ちょうど1965年頃の日本の様に無秩序に、ミニバ
イク、車が人をかきわけ信号無視して走り回っています。
私の或る日の体験ですが、タクシーに乗りました。
狭い道路の両側に車が駐車しています。私の判断では引き返すところですが、
運ちゃんは其の儘走って行きました。
其の結果、両側の車は勿論タクシーもボコボコになりましたが、運転手は何事
も無かったかの如く目的地で降ろして呉れました。
良いところも悪いところも日本の後を追っかけています。
色々な意味で恐ろしさを感じた1日でした。
今、日本は米英に追従して『アフガニスタン』に首を突込んでいます。
それよりも、近くのアジアに目を向け、仲良くし、= 一行半、文字化けの為
判読不能 = 暮らしてきた国の務めだと思います。
言いたい事が山ほどあり、つい脱線しました。
ただゆきさん、重ねてのお便りありがとうございました。
中国から引き揚げられた方、台湾から戻られた方、みなさん様々な運命の中で
今日まで生きてこられておるわけでございます。
終戦後、あるのは自分の身体だけというような本当に何もないところから頑張
ってやってこられたと思います。
そして世界中の人々から羨まれるくらいのところまでやってまいりました。
いま、不況で先行きを悲観する論調が喧しく謂われておりますが、あの頃の事
を思えばこんなものは何ほどのものでございましょうか。
いったんの豊かさに狎れはしていても案ずることはないと思います。
日本は必ず立ち直ることが出来るはずです。そう信じてがんばっていれば必ず
そうできると思います。
月曜日号に載せきれなかったRahaさんの二通目のお便りです。
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名古屋のRahaです。メルマガ第50-記念号(?)の「ただゆきさん」のおっしゃる
> 台湾ではもっと凄い事があります車社会です。
って、台湾の交通事情の事ですよね、たぶん。
私は台北へは2度行きました。
昨年4年ぶりに行きましたが、MRT、スタバ、etc.4年間で随分変わりまし
たね。
私が過去に訪れた中では、台北・上海・バンコクは甲乙つけ難い「三大壮絶車
社会」ですね。
でも、ただゆきさん上海もすごいですよ。
たった4日間の滞在でしたが、タクシーで2度接触事故がありました。
4日間で2度ですよ! しかもタクシーで。
上海の街の中は絶え間なくクラクションの音がしています。
これは台北よりもすごいです。 まるで、映画の中で大都会の喧騒のシーンが
ずーっと流れているような感じです。街中「パッパー、、、プップー、、、」
クラクションの洪水というのは、まさにこの事。
台北での恐怖体験は、やはりタクシーですが、運転手がやたらとばすのです。
夜でしたが、市内を時速90km、100kmで走るのです。
後部座席で「怖い、怖い」(快、快?笑)を連発した記憶はありませんが・・
でも、無意識に言っていたかも・・・。
台北では信号は比較的守られているような気がします・・・。
上海では、浦東の鷺鷺餐店に行った時、反対側の金茂大廈(字がちょっと違い
ますか?)側から高速道路ともう一本かなり広い通りが合流するところを走っ
て横断しました。 > “大厦”です < Ojin
合計すると14〜16車線くらいになりますか・・・。
「危ないからあっちの信号まで行って渡ろうよー」という私に「ダイジョブ、
ダイジョブ」と上海の友人。 しかも彼女は4歳の子供連れ。
「あんた、大丈夫っていう日本語の意味、わかってるの???」けっこうこれ
ホンネでした。
中国では、信号は道路を飾るただのイルミネーションである」のフレーズを読
んだ時、思わずうなづいてしまったワタシ。
Rahaさん、長いお便りをありがとうございました。
このお便りはお便りにしようか体験記にしようかちょっと迷いましたが、少し
短かったのでお便りに致しました。次の時には体験記なんてもいかがですか?
台北のタクシーは、ただゆきさんも書いておられますがすごいですネ。
でも、逆にいうと日本が車を大事にし過ぎるのかもしれないという気がしない
でもありません。
先日、アメリカに留学中の方のメルマガを見ておりましたら、コツン、ボコン
は当たり前みたいな事が書かれてありました。
確かにちょっと接触したり、止めるつもりがアララ?!なんてことは無いほう
が不思議、という気もいたします。
最近はようやくまあ何とか慣れることができましたが、本当に中国のクラクシ
ョンはウルサイですネ。
まあ、前後左右まったく確認しないで、この道は自分ひとりだけのものという
感じの人が多いですし、なにか−コツンでも−あると道路に座り込んで痛いの
死ぬのと喚き散らす人も多いですから自己防衛で仕方がない部分はあるかとも
思います。(それにしても鳴らし過ぎな人が多いですけれど・・)
上海のご友人も“この道は”派の方じゃないのでしょうか?
ご常連の椅子をどっかとり占められるようになった関東の同喜同歓さんです。
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いつも楽しく拝見しております。
通勤中の電車の中で、また少ない休日に自宅で等々…。
HPを訪れてからでしょうか、当メルマガが入っているのが判ると、何かホッ
とします。友人から手紙をもらったようで。
週に3回も手紙がくるというのはまさに至福でございます。
体調を崩すことなく頑張って下さいネ。
ところで、例の切り絵、最高ですネ! しかも月ごとに変るなんて何て贅沢…
嬉し過ぎます。どこかに貯めて行かれると、すごい事になりそうですね。
当家の虎老婆(引っかくところはお猿に近いヨメさん)も喜んでおりました。
堂々と「オイ、見てみろよ!」と言えるのは大変ウマイです。
同喜同歓さん、いつもあちこちに書き込みなどを戴けましてありがとうござい
ます。以前のバナーって、赤い旗袍と白い旗袍の小姐のあれでしょうか?
北京の(母老)虎がヤキモチ妬いて引っ掻くんでしょうか? そりゃ〜身から
出た錆?かもしれませんですヨ。。あれ見るときにホラ、ヨダレが、、たら〜
りたらりと。。。アハハ・・ご油断は禁物。
お名前:川畑
Yuka
★★★
エイズやその他の性病は、中国でも深刻な問題です。
中国国民の性に対する無知さ、加えて性に対する恥ずかしいと思う気持ちが、
問題に拍車をかけているように思います。
病気の存在すら知らない人や、自分から口にすると恥ずかしいから避妊を相手
任せにする人のなんと多い事でしょう。
自分を守るのは自分だと、政府が教える義務があると私は思います。
以前新聞にこんな事が書いてありました。 私が直接読んだわけではなく、王
ちゃんからの又聞きなので詳細は分かりません。
“河南省のある街では、人口の3分の1にものぼる人達がエイズに感染してい
る。それは性交渉から感染したわけではありません。
貧しい街では自らの血液を売って生活の足しにしている人がたくさんいます。
その際の注射針は使い捨てではありません。消毒もされない注射針を使いまわ
した結果です。”
関東の好双喜さんからめげそうになっているももこライターに励ましのお便り
がまいりました。
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ももこ様がんばって!
ももといえば、柿本人麻呂の詩で素敵な詩がありましたね。
都落ちした自分の家の庭の桃の木は何も言わず毎年春になると花を咲かせてく
れる、というアレですね。
私は結婚式を挙げる前に親に内緒で入籍しました。妻は老北京です。
だから後々披露宴は行ないましたが、結婚の祝い自体は両親と実家で4人でご
飯を食べただけです。
(嫁さんの親御さんは当然こちらにはいません。報告はできてもすぐにこちら
には来れません)
あまりにも寂しい気がしたので、梅の鉢植えを2つ買ってきて、1つは自分達
のアパートに、もう1つは祝いの席にと持参しました。
春先の事で、朱色の梅は桃の花の様ですごく場をなごませてくれました。
後日電話で母曰く、「これってボケじゃないの? 花がだんだん成長してるわ
よ。」
話は変って、披露宴の会場にて。
入場のBGMにテレサ・テンの「人面桃花」を使った私。
会場にいらした中国のお客様は複雑な表情。ムムッ?
後で妻に聞くと、あれは「毎年春になるとあなたの前にきれいな花を咲かせる
桃の花になります。いつまでも私を見ていて。」という幽霊の歌との事。
国際的な馬鹿です。私って。
日本人のお客様にはおおむね好評でしたけど。みんなゴメン。
脈絡が無さ過ぎる私の文章に最後までお付き合いいただきありがとう。
晩酌しながらだとこんなになります。ごめんなさい。
好双喜さん、桃尽くしのお便り本当にありがとうございました。
ももこさんにはなによりの元気復活剤になると思います。
締切ギリギリにまいりましたので、ご本人からの返事は多分金曜日号です。
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傷┃つ┃く┃な┃ら┃ば┃そ┃れ┃は┃愛┃で┃は┃な┃い┃
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〜┃人┃間┃関┃係┃に┃疲┃れ┃た┃時┃〜┃
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人間関係や恋愛等に疲れた時に貴方を癒す考え方の秘訣集
実際に効果があった素晴らしい言葉の数々を紹介。痛みを癒したい人
もっと素晴らしい人間関係に発展させたい人に愛と幸せを
月曜日号はアンケート特集号、今号はお便り特集号という趣になってしまいま
した。おかげで、YUKAさんの記事は金曜日号に移動。。
ということは金曜日号は覆面ライターさんと合わせて読物特集号?
お便りが多かった後は必ずピタリと来なくなりますので絶対そんな感じになる
と思います。
新しく読者になって頂いた方は戸惑われたんじゃないかと思いますが、なにし
ろ変わり身の早い軽薄なOjinが主宰いたしておりますので、まあ大体こんな感
じでございます。。
末永くご愛読いただけますようヨロシクお願い申し上げます。
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