新聞に掲載された作品の内の、
ほんの一部分です。
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2003/01/28 揚子晩報掲載
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2003/02/01 揚子晩報掲載 →
江蘇省暦届=これまでの毎回)
民間芸術博覧会と、江蘇省第2
回農民画大奨賽、及び、江蘇省
第2回職工美術書画大奨賽など
に参加しています。
また、全国旅行記念品交易会や中国家飾展覧会、中国初回吉祥民俗芸術節など
の国家・省・市クラスの展覧会にも出品し、受賞しています。
さらに、中央書画院から出版された「現代中日美術通鑑」には、4幅の作品が
収載されました。
これまでの連年にわたり、文聯=中国文学芸術研究会)より文芸創作一等奨の
評価を得ています。
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┃長┃江=揚子江)下流の黄金の三角州に位置する南通は、「人傑地霊、人文
┗━┛薈萃」=すぐれた人物や事物を輩出し、よき人や文化が聚集するところ
‥と称えられた地方で、豊厚な民俗文化の伝統を有しています。
陳耀先生が子供時代、たまたま「民間灯彩」に剪紙が使われているのを見て、
この、古いけれど美しい民俗芸術の虜になってしまいました。
そして、自分で剪紙の図案を探し出してきてはこれを真似、勉強の時間以外の
すべての時間を費やし、寝食を忘れて打ち込むようになってしまいました。
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民間灯彩=提灯というべきか、回り灯篭..回らないんですけれど、ともかく、
中央に蝋燭を立て、周りを竹で囲み、そこに紙を張った..まあ、提灯ですね。
その紙の外側に、剪紙が貼られています。
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こうして制作経験を積み重ねるうち、次第に独自の創作に目覚めるようになり
小学校4、5年生頃には、県都=当時は市ではなく県)の展覧会に出品して、
受賞するまでになりました。
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┃陳┃耀先生の剪紙は、南通剪紙の特徴や風格を継承していますが、それだけ
┗━┛に止まらず、さらに発展させています。
南通剪紙というのは、主として花鳥魚虫など自然の事物や、物語の名場面など
を使用します。
構図が豊満であり、ラインは精巧細密で美しく、「喜花」や「門簽」剪紙など
に用いられる、代表的な南派剪紙のひとつであり、中国剪紙の歴史上、重要な
位置を占めてきました。
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喜花=
結婚の時に、扉や窓、家具などに貼る、「喜」という字を綺麗にデザインした
花文字。赤い紙で作られます。
門簽=
新年に際し、家の門の両側に、縁起のいい文字が書かれた赤い紙を張ります。
これを対聯といいますが、対聯とセットで、門の中央上部に縁起のいい図柄の
絵を貼ります。これが門簽。
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また彼は、常に新工夫の探求に情熱を燃やし、北派の、素朴豪放、粗_敦厚と
いう特徴と、南方の陰柔秀美、精巧細膩という特徴を溶合させ、さらに、現代
的な感覚と技術を溶入しながら、こうした諸々を巧みな工夫によって、自己の
作品の思想、品味とし、より装飾効果のある形式と、内容も完璧にしました。
彼はさらに、習得した文学的知識を、巧みに剪紙に採り入れることによって、
土臭い民間剪紙に、文学性や芸術性を加味させる事にも成功しています。
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┃彼┃が脚色して編集した児童連続画剪紙、≪吃猫的鼠阿婆=猫を食べる鼠
┗━┛のお婆さん≫≪旅行途中≫などは、児童出版社から出版されました。
セット剪紙≪紅楼十二釵≫釵=かんざし)は、画面デザインや人物の描き方に
優れた叙情性を持った作品で、南京の「曹雪芹記念館」に収蔵されました。
≪李白酔酒≫≪清明上河図≫などの作品は、中国詩酒協会に珍蔵されました。
≪孔雀争艶≫は、南京孔雀博物館に収蔵されています。
彼の創作になる大型剪紙、≪一世大吉≫≪年年有余≫≪蝶中蝶≫≪孔雀図≫な
どの作品は、内容が豊富でデザイン的にも優れ、なお精緻細巧であるとされ、
中国文芸節剪紙部門の特別推薦作品とされ、展示作品の中では最もよく売れた
作品群となりました。
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┃彼┃は、作品の意境を上手く表現します。創作した刊頭画は、時効性、思想
┗━┛性、装飾性に優れていて、編集者から好感を持たれています。
初めて投稿した場合でも、校正されることもなく採用されてきました。
ここ20年以来、≪文匯報≫≪団結報≫≪新華日報≫≪郷土≫などの、国家・
省・市の新聞や雑誌に、延べ500幅あまりの作品が掲載されました。
彼はまた、他の美術分野(の技法)の導入移植を試み、剪紙の表現力を増すため
に、例えば、版画、年画、国画、黒白画像など(の技法)を剪紙の中に採り入れ
ました。
そうした技法を採り入れて創作された≪蝶恋花≫≪生命≫≪抽象人体≫≪抱魚
娃≫などの作品には、人々が瞠目するような斬新さを認めることができます。
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┃ま┃た彼は、よく周りの事物を観察し、写実と誇張を融合させたり、簡繁と
┗━┛疏密を巧みに按配し、点、線、面の配置を上手にまとめています。
彼の処女作≪水絵秀色≫は、気勢宏大、動静相宜、造型秀麗な作品ですが、こ
の作品の制作にあたっては、微細な部分の刻制の為に小さな縫い針を研ぎすま
して小さな刻刀を作り、刻みました。
また、下絵の制作にも1ヶ月を費やし、何度も書き直しを繰り返してようやく
完成させました。
高名な老作家の碧野先生は、この作品を見た後、奇跡の如し、と評しました。
≪百蝶図≫を創作する時など、藪に分け入って蝶の姿態を観察し、さらに捕ら
えて標本にし、研究しました。
たまたま或る蝶の展覧会が開かれた時、彼は、何度も展覧会場を訪れて、展示
されている蝶をスケッチし、するうちに蝶の専門家ともいい友達になってしま
いました。
こうした努力の末に編まれた彼の百蝶収蔵本は、香港でも大きな話題となりま
した。当地のメディアも、彼の制作した蝶は、一個一個が生き生きとして真に
迫り、まるで生きているようだという驚きを伝えました。
その後、彼が次々と創作した≪百魚図≫≪百鶏図≫≪百羊図≫などの、セット
剪紙図集も、学者や各界専門家の絶賛を浴びることになりました。
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┃1┃997年、彼は仕事中に負傷し、両足に障害を残してしまいました。
┗━┛けれど、その後さらに創作活動に情熱を注ぐようになり、短時日の内に
たくさんの素晴らしい作品を制作して、個展を催すまでとなり、更に、いくつ
かの大型展覧会にも誘われて参加する中、次々と登場させた新作が内外人士の
好評を博し、人気も上がって次第に注文が増えるようになりました。
ニューメディアからも注目を浴び、≪中央電視台≫≪江蘇電視台≫≪南京電視
台≫≪南通電視台≫などで放映され、新聞も相前後して特集記事を組んで報道
しました。
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┃ま┃た彼は、剪紙を芸術として大きく発揚させるかたわら、社会に対しての
┗━┛奉仕活動も忘れてはいません。
剪紙を、現在の社会での位置と需要、それと現代の文明、現在の市場をリンク
させるために努力しています。呼びかけに応じて、南京中央商場・金陵飯店・
典雅居広場などの単位芸術展覧会などにも積極的に参加し、その場で剪紙を制
作し、内外顧客の生の意見を採り入れるようにしました。
古い芸術とみられている剪紙ですが、彼は模索し、題材の選択、装飾の改良な
どによって、剪紙が新しい領域の芸術として現代の家庭に採り入れられ、更に
現代人の審美欲求に応え、大きな発展の場を得られるよう努力しています。
現代の潮流の中にあって、民間芸術を伝承させていくには、挑戦しなければな
らない数多くの困難に直面していますが、彼は、自身が刻苦し、深く研究する
と同時に、剪紙愛好者の育成に対しても積極的に取り組んでいます。
彼は、市教育局の招きに応じ、美術の先生たちに剪紙の技術を教えています。
最近は、南京市の数ヶ所の高等教育機関から、特聘民俗剪紙芸術家として嘱さ
れてもいます。
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┃第┃一回中国吉祥民俗芸術節で、彼の作品とその成長状況は、多くの専門家
┗━┛・学者・同業者などから支持をされ賞賛を受けました。彼らから、陳耀
の剪紙芸術が、更に成熟して完璧なものとなり、今後、世界に向かって飛躍し
てゆくだろうと評価されるようになっています。