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坂の上の雲を! ――――――――――― by 紋起さん
☆ 足らざるもの(4) ――――――――――――――― 2009/05/27
ーーーでは、負けないためにどうしたら良かったのであろうか。

「たら・れば」論で時代を過去に戻せるものならば、昭和12年まで戻して、
まずは、満州国の充実に努めることに国力を集中することであったと思う。

したがって、それ以外のことは断念する勇気を持つべきであった。特に「鎧袖
一触だ」などとナメて中国大陸に攻め込むような無用な愚策は、断じて許して
はならなかった。

その意味で、満州事変の張本人である石原莞爾らを、事変後に昇進させたのは
極めて拙いやり方であることを反省すべきである。如何に日本国にとって良い
ことであったとしても、軍法を破って、本来なら死刑を科すべき罪である者を

何の咎めもなく昇進させたのでは、後々に混乱が起き、全てが台無しとなる。

満州国の充実に傾注する一方、米国との関係では、石油や他の希金属を米国に
依存する限りは楯突くべきではなく、表面的には大人しくしておくべきであっ
た。三国同盟などもっての外である。

その一方で、資源的に米国からの独立を模索すべきであった。満州国内での油
田探索、並びに蘭印の石油を平和裏に入手できる工作をなすべきである。

その案の中には、私が「負けないために」で提起した、蘭印民族独立組織の非
公然援助が必ずあるはずだ。

蘭印の独立運動は、1910年代(明治43)から顕在化して存在し、1828
年(昭和3)にはインドネシア共産党が蜂起しているし、スカルノ等の民族運動
も存在した。

ここに金と武器とノウハウを供与し、オランダがドイツに屈伏した後には、日
本から必要により義勇兵を派遣すれば、合法的に日本の意図を汲み取ってくれ
る政権を蘭印に誕生させることは不可能ではなかったはずである。

例えばこういうやり方で蘭印が独立し、そこから石油を貿易で入手するように
なっていたのなら、蘭印の独立を支援したことだけで米国が日本に石油禁輸を
する理由を見出すことは難しいと思う。

なぜなら、隣のフィリピンに対してアメリカは、1934年に自治領として認
め、1944年(昭和19)に独立することを承認しているのだから、インドネ
シア独立援助を理由に、日本に経済制裁だとか武力による干渉はできないだろ
う。

日中戦争開始前の時点(=昭和12年)まで戻るのは余りに勝手過ぎる、とのご
意見もあるだろう。ーーーそのご意見に応えて、昭和16年8月の石油禁輸を
受けてからどのようにすべきであったか、というところまで戻して検討をしよ
う。

私は、その時点での最適行動はルーズベルト提案に乗ることであったと思う。

仏印南部に進駐して、アメリカの一喝でスゴスゴと引き下がったようにみなす
連中もいるだろうが、それは引き下がる時の条件の付け方次第である。仏印を
中立地帯にするというのだから、それを引き出したと強弁すればよい。

そして、日中戦争での援蒋行為を縮小させる等の条件を付けて、米国に飲ませ
ることである。その餌として、三国同盟からの脱退を宣告してもよいはずだ。

独ソ開戦は、日独伊ソの4国協商を前提に締結されていたわけであるから、独
が不可侵条約を破ってソ連を攻撃したことは、甚だしい義務違反であり、条約
から離脱しても国際信義に反しないはずである。

問題は陸軍であったろう。東条陸相が、撤退は絶対に駄目だと主張したそうだ
が、対米戦に自信のない海軍を引き込んで、長期戦になった場合の不利を説得
材料にして行えば説得はできたはずである。

陸軍も、エクスキューズの理由さえあれば、日中戦争も片付かないのに長期戦
となる対米戦突入の責任を全面的に被る覚悟はなかった。

そして、米国と通商条約を結ぶ一方、日中戦争を終わらせ、満州国の充実と、
資源的な米国依存からの脱却を図るべきであった。

では、近衛内閣は何故、大統領提案を受け入れなかったのであろうか。

実は、正式に大統領提案を検討した痕跡がない。日本は、米国に8月6日に回
答しているが、その内容はどうも、近衛首相、豊田外相、東条陸相、及川海相
の4相会談で決めたものらしい。

参謀本部の田中作戦部長は、8月5日に東条陸相が杉山参謀総長を訪問して、
大統領の仏印中立案を紹介して日本側の回答案を述べた、と記録している。

その時、田中は、政府が米国からの餌に釣られて仏印南部進駐の基本方針を台
無しにすることを心配したと述べている。

日本から米国への回答の内容は、仏印南部からの撤兵は拒否し、中立化でなく
日本の勢力圏にすること、通商の再開、更には日中問題に関する米国からの橋
渡し依頼をしており、交渉窓口の米国ハル国務長官は、一瞥しただけで、ヒッ
トラーと同様な侵略行為には深く失望したと述べたのみであった。

そして8日に、日本案は大統領提案に対して不十分だと、日本からの回答への
拒否を言ってきた。

この経緯をみると、近衛や東条、並びに参謀本部は、仏印南部への軍隊駐留と
対米開戦とを秤にかけたとき、仏印南部軍隊駐留のほうが日本の国益に適うと
判断していたことになる。ーーー何故このようなバランスの欠けた決定になる
のか、私たちはその理由をよく考えなくてはならない。

私が経験したことだが、生産現場でトラブルの再発防止策を考えるとき、機械
系出身者は、機械による方策を提案し、電気系技術者は電気・制御による方法
を考えていた。

それぞれが、自分の得意技で問題を解決しようとする傾向が強いのである。こ
のアナロジーで言えば、軍人は軍事力で問題解決を図ろうとする傾向が強いと
推される。

蘭印との資源交渉において、特使が小林一三に決まる前に、小磯国昭陸軍大将
(後に昭和19年首相)が特使候補に上がったことがあったが、候補になった時
点で「帝国ノ急要施策」を政府に提出し、

「所要の随員と共に軍艦に便乗し・・実力の後援により交渉に従事する」こと
並びに陸戦隊の同行、さらに2〜3個師団を必要とすると述べた。ーーー落ち
目のオランダに対する、恫喝の砲艦外交を想定していたのである。

軍人には共通してこの傾向があるのだろう。しかし近衛内閣は、民間人の小林
一三=阪急電鉄の創業者)を派遣することにした。

エコノミストの原田泰氏が、著書で、満州国で大慶油田を発見しておれば対米
戦争は起こらなかったことを指摘していた、と養老孟司氏が紹介しているが、

軍人がやらなかった理由を「当時の軍人は成功すれば爵位がもらえたのです。
だからどうしても戦争志向になる」と述べている。

これはインセンティブ論であるが、私はそれも否定はしないが、発想の狭窄論
のほうが強いと思っている。大慶油田の探索など思ってもみないことであり、
蘭印の民族独立支援なども考えつかない人達が国の指導層を占めていたのであ
る――――。

それは人材の偏りである。当時のトップ層での人材の出身を見れば、陸・海軍
それも幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、陸大、海大の、いわゆるエリー
トコース出身者が圧倒的に多い。

この時の第三次近衛内閣でも、半数が軍人である。同じような学歴、同じ職場
だけしか知らないままの状態で育ち指導層に加わるのだから、過去の経歴から
しても発想は極めて狭いものとなろう。

この人材のバラエティのなさが、選択肢の狭さに帰着しているように思えてな
らない。これも足らざるものの4番目に加える必要があるだろう。

そして現在の日本をみると、全く同じような人材のバラエティの偏りが弊害を
起こしている。東大法学部卒の官僚が、同じ職場で、終身雇用で行政を担当す
るから拙いことが頻発している。

それは大学でも同じで、その大学の出身者が、その大学の教授となり、そして
学長となるような傾向が強い。同質主義が尊ばれるのである。

野球でも、出身球団にこだわる監督人事が殆どだ。阪神の例でも、外部から招
聘した野村、星野監督の時代にチームは変わったが、岡田、真弓監督で旧来の
体質に戻ったのではなかろうか。

私たちは同質を求める。

異質が来たら同質化に注力し、うまくいかないときは「いじめる」のである。

こういう同質(ホモジーニアス)主義は、内部構成員の安定、安穏は保証される
が、組織のパフォーマンスは落ちるといわれる。異質(ヘテロジーニアス)の人
材を入れることで組織の効率は高まるのである。

米国の創造性が高いのは、常に文化の異なる移民を受け入れるところが貢献し
ている面もあると思う。そういう点からも、

日本も外部からの人材(移民を含む)を受け入れるほうが活力は高まるだろう。

外国一切拒否の姿勢は非常に危うい。組織は、意識してヘテロにしなくてはな
らない。

                        = この稿つづく =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 読後アンケートの結果。 ┗━┛
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┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「さぶろうさん」 賛成に投票いたしました。力作ですね。とても勉強になるとともに、楽しく読 ませていただきました。ありがとうございました。 少し気になる点をコメントさせて頂きます。 紋起さんの御提案は、煎じ詰めると、以下のようになろうかと思います。 「 」内は引用です。 ┌-------- 「最適行動はルーズベルト提案に乗る」 「日中戦争での援蒋行為を縮小」などを「米国に飲ませる」 その代償として、 「三国同盟からの脱退を宣告してもよい」 └-------- これは、太平洋戦争における米軍の猛威を知っている我々から観れば、かなり まともな方針に見えます。 つまり、米軍 > 独軍 > 日本軍 という威力の順位を現在の我々は知っています。だから、太平洋戦争を避ける ためにはどんなこと(=三国同盟脱退)でもやるのは合理的と思われます。 しかしながら、1940年8月当時には、ドイツ軍は独ソ戦を始めたばかりで 破竹の進撃中=傍目にはとても強く見えます)アメリカの軍事力は未知数=最 近、戦争してませんから)おまけにアメリカの民衆は厭戦気分、という状態で した。 もし、ドイツがソ連西部をたいらげると、ユーラシアに巨大なパワーが誕生し ます。その可能性は、まだ否定できなかったと思われます。 その時点での三国同盟破棄は「勝ち馬に乗れるかもしれないチャンス」をみす みす捨てるようなものだったでしょう。 当時の陸軍首脳のイメージでは、 独軍、ソ連軍 > 日本軍=ノモンハンで負けているから) であって、米軍は未知数でしょう。 当時の認識では、紋起さんの上記のご提案を合理的と考える余地は少なかった のではなかろうか?ーーーと愚考します。
└────────── ┌──────────「紋起さんから」
さぶろうさま、少し長くなりますがお許し下さい。 昭和16(1941)年7月28日に、日本は仏印南部に進駐しましたが、ドイツが ソ連に進撃開始したのは、7月22日のことでした。しかし、ドイツがソ連に 攻め込むという話は、その年の4月からありました。 独の進撃について見ておきましょう。 ┌-------- 1939年09月01日 独、ポーランドに侵攻。陥落 1940年05月10日 独、オランダ、ベルギー、等に侵攻、オランダ降伏(14日) 1940年05月13日 独、フランス北部に侵攻 1940年06月05日 英連合軍、ダンケルクから退却 1940年06月21日 仏、独に降伏 1940年07月10日 独、英国空撃(バトル・オブ・ブリテン)〜10月30日 1940年09月19日 ヒットラー、英上陸作戦の中止を指令 1940年09月27日 日独伊三国同盟締結 1941年07月22日 独、ソ連へ進撃 └-------- この経緯を見れば分かりますように、ドイツの電撃作戦成功は、昭和15年6 月末までですよね。日独伊三国同盟を結んだ時期には、バトル・オブ・ブリテ ンで英国に負けている、とヨーロッパでは評価されていたのに、快進撃は続い ていると軍部・政府は思い込んでいたのですから、世界情勢把握ができていな いのです。 軍部は外務省を無視するようなことが多かったですから、親ドイツの情報しか 伝わってこないのでしょう。昭和15年8月に、吉田茂が貴族院議員原田熊雄 に、独の英国上陸は無理であること、最終の勝利も疑わしいと伝えています。 原田は近衛に伝え、三国同盟をやめるように説得しましたが、近衛は聞き入れ ませんでした。近衛の罪は非常に重いですよ。 独がソ連を攻めるという情報が入った時点で、ソ連の実力をノモンハンで知っ ている日本は、独の2正面作戦を危ういと判断しなくてはならないはずですよ ね。資源的にも、石油が独には不足していて、ソ連と確執を生む形でルーマニ アを保護国にして石油確保をしてます。 冷静に独の戦いを見れば、独が勝つという判断は、仏印南部進駐の時期には消 えていたはずです。それができなかったのは、情報入手ネットワークの不備と 指導層の先入観に支配された勝手読みではないでしょうか。あるいは日本独特 の空気のなせる業かも知れません。 └────────── ┌──────────「Hal さん」 先の大戦についての部分は概ね賛成。ただし、「私たちは同質を求める・・・ 以下・・・外国一切拒否の姿勢は非常に危うい。組織は、意識してヘテロにし なくてはならない」については反対。 先の“OJIN”さんの「中国花嫁移入」にしても、『日本はどうあるべきか』を もっとよく考えてからでも遅くはないのでは?----夜郎自大の独善ではなく。 人口が6千万人になっても、ここのところの考えが、日本人の個人として確固 たるものがあれば、恐れるに足りないのではないだろうか。 現状で外国からヘテロの考えの人たちを移入したとしたら、たちまち日本はそ のヘテロの考えに染まってしまい、全く個性のない、面白くない国になるよう な気がします。 日本人としての気概、存在意義は、なし崩しになくなってもいいもんでしょう かね。かつてアインシュタインが日本について漏らしたとされる、貴重な独自 性は不要のものでしょうか。
└────────── ┌──────────「紋起さんから」
┌-------- 現状で外国からヘテロの考えの人たちを移入したとしたら、たちまち日本はそ のヘテロの考えに染まってしまい、全く個性のない、面白くない国になるよう な気がします。 └-------- 日本の歴史を見れば明らかなのは、日本は異質との出会いをキッカケにして独 自文化を生み出してきていることです。 平安時代の紫式部、清少納言にしても、杜甫、李白等の唐の文学的素養が基本 ですし、安土桃山時代の狩野派の絵も、唐、宋代の水墨画、山水画の影響を受 けて大和絵が発展したものといわれています。 日本の特徴は、宗教的な思想の変革なしにハードウエア、ソフトウエアを受け 入れ、それを発展させる処にあり、刺激がないと停滞してしまうことが多いの です。 外国の受け入れに、もっと自信を持って良いと思うのですが、何か被害妄想の 傾向が強いですよね。あらゆることに闘争心がなくなり、飲み込まれるような 敗北主義的な心情が溢れていないでしょうか。そういう事のほうが心配です。
└────────── ┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
ーーーちょっと OJIN からもひと言を。 6千万人でもかまいませんが、問題はそこまで減少していく過程での稼働年代 層の重圧負担と経済規模の縮小=収入の減少を、我慢できますでしょうか? この問題に関しては、現在と、そして間もなく年金を受けられる方々には基本 的に発言権はないと思います。発言権があるのは、近い将来に、最低でも給料 の50%以上を天引きされるようになる年代の方々だけではないでしょうか。 「たちまち日本はそのヘテロの考えに染まってしまい」ーーー日本人というの は、そんなにひ弱なヘロヘロ民族なんでしょうか? 本当にそうなってしまっ ているのなら、なおのこと、ヘテロを必要としているのではないでしょうか? 異質を移入してある程度「ヘテロの考えに染まる」ことが活力を生む、という のが紋起さんの論旨です。Hal さんのお考えは「異質が来たら同質化に注力」 するばかりの、今までと同じ、安穏を求めるだけのものだと感じますが、 ーーーそれで日本の将来は、本当に大丈夫なんでしょうか? └──────────
本当にそうだこのとおり!‥‥と思われた方!「誰でもできる!1人1日1回の愛国活 動」は、ここをクリックして頂くことからはじまります!ーーークリックして頂くと票数がアップして、この問題を多くの 人々に知らせる事ができます!
    
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