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坂の上の雲を! ――――――――――― by 紋起さん
☆ 短慮と不覚の路(上) ―――――――――――――― 2009/01/14
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2年前に「負けないために」という題で投稿をして、色んな議論を頂戴したが
その後の勉強並びに考察したことを補足して「負けないためにVer.2」の位置
づけで投稿したい。
└--------

何故、必敗する相手に開戦をしたのかの原因を考えてきたが、私の結論は、

1−戦争の本質が、短期決戦から総力戦に変化したことを理解できない軍人が
殆どであった。ある意味、日露戦争の「成功体験の逆襲」の面もあるし、教育
の偏りもある。

2−国益より、自分の属する集団の利益を優先する「集団の内部調和指向」の
悪弊。

3−軍の統治上の位置づけの誤りと、軍の組織機構の欠陥。
ア)陸軍海軍の統合機構の欠如
イ)統帥権の独立

4−下克上の多発、それを抑制しない上層部の思考方法と既成事実に弱い思考
体質。

5− 情報収集力、解析力の貧困。(国際機関などからの安易な離脱の反作用)

に集約される。

他にもっともっと要因はあるだろうが、これらが最大の問題であった。これら
の中から、統帥権の独立等、よく語られることは除き、常識となっていないと
ころのみを取り上げて説明したい。

当時の軍人は、戦争の本質が根本的に変化したことを知識として知っていたの
かもしれない。例えば有名なバーデン・バーデンの密約では、総力戦への陸軍
の方向転換も約したといわれるが、

確かに永田鉄山は、国家総動員法の制定に助力し、石原莞爾を参謀本部に呼び
総力戦体制の策定と具現化を行わんとしている。----永田鉄山は、奇しくも石
原課長着任の日に刺殺された。彼が健在ならば日本陸軍のありようも変わった
と惜しむ声も多い。

そのバーデン・バーデンの密約に参加していたはずの東条英機は「戦争はやっ
てみなければ分からない」と幾度も述べている。「やってみなければ分からな
い」ような戦争は短期決戦であり、総力戦にはあり得ないはずである。

賭博必勝法が確率論で紹介される。

負けた累計金額を次の賭けに張り続けるというのがその方法である。結局資力
の大きいほうが勝つのであり、資力の劣るほうは次にかける金が尽きてしまう
敗けが必ず来るのである。

総力戦もこれと同じで、いくら個々の戦闘に勝とうとも、武器弾薬、兵員、食
糧補給が尽きて負けるのである。

子供の頃、私は何人かの大人から、アメリカの物量で負けた、日本のほうが強
かったと聞かされたが、物量がものをいうのが総力戦の本質なのだが、その大
人達は短期決戦の戦争が戦争だと思っていたのであろう。

だから、「やってみないと分からない」というのは個々の戦闘であって、幾つ
もの戦闘の連鎖で成り立つ戦争ではありえなかったのである。

10倍以上の国力のある米国に、消耗戦で勝てる余地等は全くないのである。
このことを、陸軍大臣の時も首相の時でも、東条英機は理解していなかったの
だと思う。

海軍でもそうだ。

永野修身軍令部総長が、昭和16年春頃から対米開戦を主張するようになるが
それは、米海軍の戦艦等の増強が甚だしいので、時間が経てば経つほど戦力的
に圧倒されるから、今のうちに叩かねばならない、と思ったからだといわれて
いる。

しかし、総力戦は長期戦になるのだから、その時点で戦力が釣り合っていても
長期になれば当然圧倒されることになる。それは、開始時点の保有戦力の問題
でなく、戦力の損失が大同小異なら、兵器・兵力の補給能力により決まるとこ
ろが大きいからである。

永野は、長期戦のこと語る時があるが、短期戦と混同しているところが多い。
ーーー総力戦を理解できていなかった所為だろう。

総力戦の本質を理解していたと思われる名の知られている将官では、陸軍の、
宇垣一成、永田鉄山、石原莞爾、海軍の、加藤友三郎、米内光政らだけであっ
たようだが、極めて少数派で国策の幹となり得なかった。

それは次に述べる、集団の利益と対立するような印象を軍の他の将官に与えた
からであった。

そして、開戦の決定をした昭和16年9月6日の御前会議でも、終結方法等の
構想もないままに、事実上の開戦決定をするのである。

                        = この稿つづく =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「Kさん」60代@男性@自営業@近畿 いつも貴MMを、楽しくかつ有意義に拝読させていただいております。有益な 情報を沢山いただきまして有難うございます。 ところで、「何故、必敗する相手に開戦したか」の御高見ですが、大変参考に なりました。ただ、 「我が国の存亡にかかわる諸外国の圧力」という部分がないのですが、それは 理由にはならないのでしょうか。明治以降、アジアは西欧列強に次々と植民地 化され、次はわが国も危険領域に入っておりました。 そこで、アジアから西欧列強を追放してアジア(大東亜)共栄圏を作ろうとした ところ、石油禁輸という国家の息の根を止められる仕打ちを蒙ったことが最大 かつ直接の原因と考えておりますが、この点は如何でしょうか。 貴MMの益々の御発展を祈念して、御礼に代えさせていただきます。
└────────── ┌──────────「紋起さんから」
Kさま、コメントありがとうございます。 ┌-------- 「何故、必敗する相手に開戦したか」の条件に「我が国の存亡にかかわる諸外 国の圧力」という部分がない。 └-------- とのご指摘なのですが、列強からの、下手をすると飲み込まれるという圧力は 常に存在しており、それが日清、日露戦争となったことはご高承の通りであり ます。 大東亜戦争だけが、諸外国の圧力があり、それ以前はなかったというのであれ ば、「必敗の相手と戦う」原因になりますが、それ以前も同様の圧力があり、 それを除去するために日清・日露は戦ったのですから、「必敗の相手と戦う」 ことになった原因に「諸外国からの圧力」を挙げるのは、適当でないと思いま す。 同様の圧力は存在したのは確かですが、大東亜戦争に至る道程に、日清・日露 と異なるものがあり、それが「勝つ目途もない戦争を始める」ことに至らしめ たと思っています。それを拾い上げている作業の中間報告が、このお話でござ います。 大東亜共栄圏の構想に向けて、戦争を始めたというような解説が、時に右の激 しい論者から出されていますが、私の勉強した限りでは違います。 大東亜共栄圏構想が、陸軍の時局処理要綱に盛り込まれたのは、昭和15年の 7月末頃です。全世界を相手に戦争をせざるを得ない構想である大東亜共栄圏 を、わずか1年余の準備で開始したとすれば、気が狂っていたとしかいいよう がありません。 海軍は、南方問題は平和的に解決するとこの頃は思っていたといいますから、 一丸となってやらねばならないもの、とも受け取られていなかったようです。
└────────── ┌──────────「Kさん」
紋起さま、懇切な御返信と御教示、有難うございます。 御言葉を返すようですが、さらにひと言申し上げます。 1.「列強の圧力は以前からあった・・・」 この点は御指摘通りです。当然圧力があったので開戦したわけです。日清、日 露ともに勝つ戦争という自信はなかったのですが、この圧力に負けないように やむなく開戦しております。こうした圧力がないにも関わらず開戦したのであ れば、侵略戦争の汚名もやむを得ないでしょう。 この圧力に対し反発、止むを得ない境遇に置かれたことが開戦の直接の原因で あることは、日清、日露、大東亜の全ての戦争に共通するのです。特に大東亜 戦争への引き金は、「石油禁輸」という、国の生命線を止められたことにより ます。ーーーこのへんは、もう一度資料を御確認願ます。 2.先生の御意見では、する必要のない戦争を開戦したことになります。 メルマガでの先生の御指摘の部分を否定するものではありません。当然御指摘 の側面は存在しました。しかし御意見では、それのみが開戦の理由であるかの ような誤解を与えます。「本質」からずれてしまいます。 つまり、自国の事情のみがそうさせたのであれば、全く開戦の必要のない戦争 を始めたことになり、まさに「侵略戦争」そのものになります。 史実をできるだけ正確に知ることは、歴史認識では不可欠です。そしてその評 価は、あくまで当時の価値観で評価しなければなりません。現代の価値観で評 価すると、実に馬鹿げたことをしたという評価となり勝ちです。 当時の情報量、当時の外交政策の根拠、当時の正義、等で評価してください。 また、少し辛口の言いぶりになりますが、 近代史においては自分の研究のみではなかなか追いつけない部分が多いです。 いろんな方々の意見、資料、等々を総合的に判断しなければ「本質は何か」を 見失う恐れがあります。
└────────── ┌──────────「紋起さんから」
結論的に申せば、「開戦の必要の無い戦争」をやったというよりも、「やるべ きでない戦争」に自ら「はまり込んだ」と思っています。順に申し上げます。 1)日本が、何故米国と開戦せざるを得ない状況になったのかと言えば、 米国の石油禁輸であるのはご指摘の通りです。何故米国が石油禁輸をしたかと いえば、日本の南部仏印進駐です。 南部仏印進駐を決めたのは、ドイツがソ連侵攻開始後の7月2日の御前会議で すが、目的は「オランダ領インドシナ=蘭印の石油を確保して、自給自足体制 を確立する」ためです。 この御前会議直前での軍の意向は、陸軍参謀本部はソ連を攻める、陸軍省は南 部の石油等の資源確保、海軍軍令部は南部進攻そのために「英米戦を辞せず」 と言っており、この文言が7月2日の「帝国国策要綱」に記載されました。海 軍省は態度不鮮明でした。 2)では、なぜ米国は日本のこの進駐を機に経済制裁を加えたのでしょうか。 アメリカは、日本が満州国という傀儡政権を作ったときも不満でありましたが 結果的にはまだ我慢の範囲内としたのでしょう。しかし、 権益を守るため度々、大正11(1922)年締結の9ヶ国条約違反の警告を発し、 そのたびに日本は善処を約束するのですが、やらず、ついには支那事変で中国 本土に進攻するに及びブリュッセルで会議を行う召集がかかるのですが、日本 は出席しませんでした。したがって一方的に9ヶ国条約を破棄したわけです。 その後も、上海、南京等の実質的支配を日本が行い、ドイツの侵攻で第2次世 界大戦が勃発し、フランス・パリが陥落、イギリスも風前の灯となっていると ころで、日・独・伊の三国同盟を締結、直ぐに日ソ中立条約を結びます。 当時、アメリカの国務省高官の間では、4国によるユーラシア大陸の分割とい う話が頻繁に交わされていたといいます。 その段階で南部仏印への進駐(実際は進攻)で、英米蘭の所領に対して日本が攻 撃できる位置を獲得するという、地政学的に見ても極めて重要な変化を起こし ました。 したがってアメリカは、戦闘という手段を用いず、日本に意図を達成させない ために資産の凍結と石油禁輸の経済制裁を行いました。ーーーこの経緯をみれ ば、私はアメリカが石油禁輸をしたことがそれ程不当なこととは思えません。 3)では何故そのような対米戦争になりうるような行為を行ったのでしょう。 始まりは、誰もが米国との戦争になるとは思っていなかったと私は思います。 危ないから止めろといったのは石原莞爾だけでしょう。盧溝橋での戦闘開始時 点でも、支那など一押しで潰せると武藤章らは思ったので、参謀本部部長の石 原莞爾が止めるのを無視して別の部屋から戦線拡大を現地に指示していたとい います。 支那事変の拡大についても、何とかケリを付けたいと思いつつ、和平工作では 結果的には相手の呑めない厳しい条件を付けて瓦解させています。 南部仏印進駐で、「対英米戦を辞せず」を入れたのも、参謀本部と軍令部の事 前打ち合わせの段階で軍令部石川信吾課長が南部進駐を主張して、参謀本部か らそれでは英米と戦争になるぞと指摘された時「対英米戦を辞せず」を加筆し たといいます。ーーーしかし、その後この文言が一人歩きを始めるのです。 また、南部仏印進駐の前段階で、野村駐米大使から、大統領が石油禁輸を匂わ せているとの電報が入ったが、陸海軍の指導者達は、真実味のあるものとして 受け取らなかった。 「もし本気で全面禁輸とするなら日本との戦争決意を固めたことになる。そこ までは踏み切らぬだろう」というのが指導者達の感想だったのです。参謀本部 の若手将校も、戦後、異口同音に禁輸するとは思わなかったと述べています。 4)現在の価値観で判断するなとの論ですが、 当時の価値観は推定するしかない話です。私は戦前生まれで、戦後間なしの大 人たちの思想や考えを知ってはいますが、所詮上辺を撫ぜているだけだから、 心底から分かってはいない。 しかし、日本から見て手前勝手な行動ばかりする北朝鮮に経済制裁をして、苦 し紛れに日本に対し戦端を開いた後で、経済制裁するから戦争になったと北朝 鮮が言っても、その理屈は今も昔も通らないでしょう。 しかし、経済制裁された当時の日本には「戦争はやってみないと分からない」 と思っていた将校がワンサカ居た。またそういう威勢の良い連中を重用した。 ーーー軍幹部教育と人事の失敗の例だと思う。 5)付加しますと、 日清・日露の時代は、伊藤博文、山縣有朋等の明治の元勲が、戦争を短期で終 われるように諸国に手を回してから開戦してます。 特に日露戦争では、日英同盟、明石元二郎中佐の後方撹乱、ルーズベルト大統 領の和平斡旋のように、多数対1の戦いにしていますが、残念ながら大東亜戦 争は、米英蘭中豪仏と戦う無謀な戦争です。 「勝ちて後に戦いを求む」は2500年前の孫子の兵法の基本ですが、それす らできていない軍官僚は、一体なんだったのかと思わずにはおれません。 しかし、あの時代にもし私が軍人だったら同じ行動を取っていたのでしょう。 その「欠けているものを見つけて修正」しておかねば、必ず同じ間違いをやり ます。ーーー厚労省、社保庁、国交省、等々の現官僚の無様な様子は、同根の ものと思えるところが多いです。 └────────── ┌──────────「1日本人さん」50代@男性 短慮と不覚の路(上)を読んで、 紋起さん、貴方の主張は、軍部のみに責任ありとする論では全くその通りだと 思います。 だが、それだけでは開戦に至った真の原因を知ることはできないと思います。 私が思うに、開戦を決意させたのは国民世論です。支那から手を引けなくなっ たのも、国民世論ではないでしょうか。 今では、軍部の一部だけが悪であるという論がまかり通っているが、それだけ が原因ではない思います。負ける戦に追い込んだのは国民世論ではない、と言 えるかである。この国民世論を作り出した者が、真の戦争犯罪人である。 真犯人は現在でものうのうと生きている、今でも第一の権力として君臨しよう とし、国民世論を思いの方向へ誘導しようとしている。 ーーー今では反論をも封殺する彼らの正体こそが、真の戦争犯罪人である。 └────────── ┌──────────「さぶろうさん」40代@男性 私も太平洋戦争の原因を調べ、考えてきました。 色々な原因があると思われ、紋起さんご指摘の点ももっともであると思います が、私が考える最大の問題点が抜けていると感じましたのでおたよりします。 それは、日本人が自信過剰と独善主義に陥り、国際協調の重要性を見失った事 です。(現在の日本においてもこの傾向が見られるのが心配です) ーーー戦争するにしても貿易するにしても、相手があり、仲間が必要です。 日本人は、物事が上手くいかないと、原因を外に求める傾向があるようです。 反省するより、他人が悪いと非難するほうが簡単だからかも知れません。近隣 の国でもこの傾向が見られます――――。 これは、精神年齢に関係があるかも知れません。そういえば、日本人の学力が 低下しているそうですが、なにか関係があるかも知れません。 状況がまずい場合というのは、普通は、自分も悪いし、周りも悪い事が多い。 つまり、全体における自分の位置取りがまずいことが多いのです。これを打破 するのは冷静な思考でしょう。たとえば、国際紛争ならば、各国の利害を計算 し、上手い落としどころを考えてゆく必要があります。 そういう冷静な視点を見失い、自国だけが正しく、反対する国は間違っている という独善主義に陥れば、孤立化してゆかざるを得ないでしょう。太平洋戦争 はそのようにして起こったと思われます。 国民(当然ながら軍人、政治家も含みます)に、一歩引いて世界を見渡す冷静さ があれば、たとえば日露戦争後に満州鉄道を米国資本と共同経営するといった 方策も取り得たでしょう。これが、満州の安定とロシアの抑止に役立つことは 言うまでもありません。 現在も世界は動揺しています。もっとも必要なことは、世界レベルの広い視点 と冷静さである、と考える次第です。
└────────── ┌──────────「紋起さんから」
さぶろうさま、ご意見拝見いたしまして、賛同するところ多々ございます。 ┌-------- 日本人が自信過剰と独善主義に陥り、国際協調の重要性を見失った事です。 └-------- とのご指摘ですが、確かにそういう面が強いと思います。 ただ、国際協調というのは今でも難しいところが多いのではないでしょうか。 例えば、温暖化は嘘であるとの論を張っている学者から政治家まで、京都議定 書の削減目標は日本にとって極めて不利であると論じています。したがってこ ういう協定にサインしたのは間違いだと言わんばかりの論です。 公平ということは難しいことなんだと思うのです。 大東亜戦争以前、日本から見ると列強は、日本に枠を嵌めて勢力伸張を妨げる 意図しか持っていないと思っていたのではないでしょうか。だから、第2次ロ ンドン軍縮条約などから離脱しますし、満州国が認められないとして国際連盟 からも離脱します。 国際協調をしていたら力を削がれて、列強の思いのままにされる恐怖感もあっ たのではないかと思うのです。 しかし、それにしても対応に芸がないですよね。面従腹背とか、いろんな手が ありそうなものなのに、純情一途だけしかできないようです。まあ、国内で面 従腹背の人は絶対に偉くなれない国ですから、交渉に携わる人も同じ性癖にな ります。 いろんな外国との交渉に関して、今も外務省をぼろ糞に言うのが国民の枕詞に なってますが、皆等しく同根なんですよ。 ┌-------- そういう冷静な視点を見失い、自国だけが正しく、反対する国は間違っている という独善主義に陥れば、孤立化してゆかざるを得ないでしょう。太平洋戦争 はそのようにして起こったと思われます。 └-------- そういう点もありますが、大東亜戦争に至る路を辿れば辿るほど「なんで?」 と思うことが多くあります。独善的なことは確かなのですが、支那が弱いと決 め付けて開戦したものの、相手は手強いとなっても引けなくなるのです。 和平をしようと思った時に南京が陥落すると、和平の要求条件が相手が呑めな いものとなってまた続ける、というようなことの繰り返しの果てにーーー対米 開戦せざるを得ない状況になります。 「当る曲がるで日を送る」という言葉がありますが、行き当たりばったりで日 を過ごす姿なのですが、日本の辿った路はこの通りでしょう。 筋書きを書いた人が次々変わりますから、筋書きなしの経過で開戦せざるを得 ない状況に飛び込んだ、というのが正直感じるところです。 └──────────
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