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坂の上の雲を! ――――――――――― by 紋起さん
☆ 氷山の水面下の話(3) ――――――――――――― 2008/10/31
現在の日本の諸問題を論じる時に、「モラルの低下」の視点は、絶対に忘れて
はならないことである。ーーー非常に重要な点なのに、その原因を明快に指摘
している論は数少ないように思う。

真の原因を究明しないで、目につく自分の嫌いなことを変えることで「モラル
の低下」を防げるとする政治家が極めて多い。

評論家は、モラル低下の原因を最近の事象と関連させて説明しようとする。な
ぜなら、現状を不満と思う人は多いのだから、最近の人々が記憶している罪の
被せやすい人を原因として結び付ければ、人々は納得するからです。

目下のところは小泉元首相。前述のように、非正規雇用の増大は小泉−竹中改
革となんら関係はないのだけれど、目に付く「改革」をしたと思われている人
に罪を被せると、多くの人はそうだと思うのでしょう。

なので、小泉政権時代からこうなったという論調は左右共に実に多い。

しかしいま表面に出ている、モラルがなくなったと思わざるを得ない事件は、
どれを取り上げても、欲望の制御ができなかったことで発生しています。そし
て欲望の抑制ができない理由を評論家やマスコミは、利益至上主義や市場原理
主義に結び付けて批判しているのですが、

ーーー本当にそうでしょうか。

どの国においても、モラルの根幹に、自己の欲望の抑制というべき機能が必ず
あります。宗教が広く信じられている国々では、モラルと宗教とが重なる部分
が多くあるのです。

しかし、「たたり」を回避する役割を宗教に任せることは、今もなお継続して
いるが、自己の欲望の抑制を宗教に委ねる人は、日本に於いていまや数少なく
なりました。

わが国において個々人の欲望の抑制は「公共の論理」と「恥の文化」が担って
きたと言われています。ムラ、社会のために個人の欲望を抑えることは「美」
や「徳」として称えられ、それに反する人間は、疎外された。

そういう「恥ずかしい」人は、集団から疎まれ、嫌われ、心地よい社会生活が
送れなかった。

「公」という難しい理屈でなくても、家族・親族・近所・村の人間関係で後ろ
指を差される「恥ずかしい」ことは、慎まなくては生きるのが難しかった。し
かし戦後は、それらの価値観は、まず封建的などという理屈で排除されていき
ます。

例えば全体の利益のための土地収用などに対しても、個人の私権のほうがより
重きを置かれることがあっても不思議ではなくなった。

戦争で、全体のために「欲しがりません勝つまでは」と国富を戦備に注ぎ、戦
災で財を失い、命を投げ出すまでしたのに、得をした人間が誰一人としていな
かった敗戦国では、このような価値観が蔓延するのも決して奇妙なことではな
いのだろうと思います。

こういう「公共に尽くしたので大損をした」と憤慨している土壌に、左翼が付
込み、「公」の排斥、「私」の重視を煽ったのである。マスコミも同一路線で
「私」重視「公」軽視の論を常に基本としてきた。

そのことが、国民の側に立つかのフリをして、「公」の打倒を執念深く行って
いる。共産主義者運動の勢力も、日本解体につながる「公」の打倒はもっけの
幸いであり、その影響下の諸団体は「公」排除が運動の原点にもなっている。

彼らが、なぜ「日の丸、君が代」に反対するのかといえば、「公」=団結中心
の打倒なのであり、「公」がなくなれば日本の解体となるから、工作源に褒め
られるから、ではないかと私は思っている。

「恥の文化」は、戦後の農村から都市への人々の移動とムラの解体、そして、
しがらみを脱して気楽であることからも、あまねく広がった核家族化により衰
退の一途を辿っている。

昔も「旅の恥はかき捨て」と言われたが、それは知らぬ人には、恥ずかしいと
思わなくてよいからで、単なる寝ぐらとしての家・近所では「恥の文化」は育
つはずもない。

戦後約60年ということは、3世代の交代がなされてきており、これらの価値
観はいまや痕跡に近い。

戦後第一世代の昭和1ケタ生まれの人には、それらの価値観は刷り込まれてい
た。だから、頭では古いと言いながら、行動は刷り込みに忠実だった。

したがって、その子供の昭和30年代生まれは、両親の行動を見ているから、
少しは繋がっている。しかし、その子供の昭和60年代生まれの世代になると
痕跡だけとなる。

だから、欲望の抑制ができないことでの問題が後を絶たない。

1974年に大ヒットしたTVドラマ「寺内貫太郎一家」は、大正末か昭和初
期の価値観の親父と、その否定派である昭和30年前後生まれの息子娘達との
生き方の軋轢を描いていたが、

もしもいま、小林亜星演ずる親父のごとき価値観を振り回したら、いまの若い
人達は狂っていると思うかもしれない。ーーー世代間の価値観の転換は、コメ
ディになるほど急激だったのだと思う。

残念ながら私たちは、「公」「恥の文化」の文化継承に失敗した。

だから、個々人の欲望の抑制は、各自の損得勘定に委ねられる面が多くなる。

すなわち、欲望を露骨に出すと、嫌われて除け者になるから抑えるというよう
な判断である。社会生活で必要だから抑制する、という原理だが、その社会が
大きな転換期を迎えた。ーーーバブルである。

バブル期日本人の価値観の変化は極めて大きい。

「精勤は美徳」は「日本人は働き過ぎ」となり、「滅私奉公」は「馬鹿げた考
え」であり、「モーレツ」は「エコノミックアニマル」となった。

そして「多少周囲から嫌われても、生きていくことでは支障がない」という確
信を皆が持った。その典型的社会現象が「万引きを罪でないとする風潮」そし
て「援助交際」だと思う。

子供たちが本屋で万引きをする。見つかると「返せばいいでしょう」と言う。
その子の親が、「万引きぐらいでグチャグチャ言うな」と逆切れをする。

良家の子女が、ブランド品を買うのに売春をする。見つかってもそれを「援助
交際」というネーミングで正当化して平然と続ける。

他人の労働の成果を、僅少であっても無労働で奪うのは「大きな罪」であり、
「自己の良心の恥」であるはずなのに、「額の多少」と「見つかるか見つから
ないか」で罪を決めている。

性行為は、男女の繋がりの基底の部分、即ち家庭の基底なのに、それを商品化
して得た金で欲望を満たすことをして何とも思わない。

これらの人々を生み出した社会のモラルは、その時にすでに腐臭のするもので
はなかったのか? それから20年、腐臭は一面に漂っているのであたり一面
に露出するだけではないのかと思う。

役人のカラ出張、カラ残業等の裏金問題を生み、社保庁に代表される出鱈目の
仕事結果は、いつ起こりいつ露見したのだろうか。 私は、援助交際の広がり
始めの時期と合致しているように思う。

またそれが、企業では形は別の不祥事として露見している。

汚染米の食料米としての販売、ミートホープ社に代表される表示偽装詐欺等々
は、バブル崩壊後の企業の苦しい時代に行われてはいるが、その芽はバブルの
後半に芽生えて、苦しい時に大きくなっただけのことである。

多少の悪いことは、見つからなければいいのだ、という考えがその根本である
からだ。

個人レベルでの事件、秋葉原事件、並びにその後続発した事件のような、親な
どへの腹いせの不特定者対象殺人事件の続発も同じ原因、親への甘えと欲望の
制御不全が源である。

甘えと欲望の制御不全で人殺しをしているのに、その原因を、派遣社員の悲哀
だとか、格差だとかの政治の問題にして、政治に解決を求める評論家とか大学
教授連中の、精神の軟弱化こそが本当の問題ではないのだろうか。

本当の原因を考えず、誰からも受けの良い甘い話で決着が付いたような顔をし
続けており、問題は悪化の一途をたどっているのだが、彼らは責任を感じては
いない。

聞くところによれば、あの米国民主党大統領候補のオバマでさえ、インディア
ナ州の演説で、
┌--------
貧困を克服しよう。貧困を克服するには努力しかない。お茶の間で、子供がT
Vやゲームをしたいと言ったときに、ダメだ、宿題をやってからだ、そう声を
かける親の努力、そしてそれに応える子供の努力が貧困に打ち勝つ唯一の道な
のだ。
└--------
というようなことを言っていたそうだ。

なぜ、日本の政治家や評論家やマスコミが、この程度のことさえ言えないのだ
ろうか。ひたすらに、唱和するように、小泉が悪い、竹中が悪い、自民が悪い
と唱えている。

ーーー本当の原因は、もっと他にあるはずなのに――――。

                        = この稿おわり =
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