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わたしの主張:賛否何論可希望討論
☆ 敗戦日本の忘れ物(3) ――――――――――――― 2008/11/19
                       by 歯軋りゴマメさん

あの大出入りの結果の不始末には、前に触れた「無責任体制」が大きく関って
いたと思うんじゃが、更に又、今で言う「KY」や、それに伴うメディア活用
の稚拙さも大きかったように思えてならんのじゃ。

元々、中国東北部は漢民族には権限のない地域で、しかも、多くの現日本人の
少々遠くはなるが御先祖サマのいた地域であって、日露戦争の勝利で得た権益
を守るためもあって、当時の日本国内と中国大陸の情勢を考えれば、彼の地へ
の進出にはそれなりの理があった。

尤も、既にひっくり返った清朝の末裔をわざわざ引っ張り出して、ミエミエの
傀儡「国家」にする必要があったかどうかは疑問じゃが――――。

古来、中国大陸では漢字文化圏の諸民族が中原で覇を競うことは「中原逐鹿」
として認められており、「清」は満州族ながら将にそのような覇者だったので
あり、当然日本にもその資格があった。

辛亥革命で清が引っくり返った後はいうならば群雄割拠状態、植民地のアジア
での最後の拠点とばかり、西欧ハゲタカ共が入り込み、ちょいと出遅れ気味の
アメタカも虎視眈々と狙っており、大陸は複雑な状況にあった。

が、それでも「中原逐鹿」の伝統は残っていた筈で、昭和のいつ頃だったか、
孫文が神戸での演説で「東洋の王道を採るか、はたまた西洋覇道の犬に成り下
がるか、それは日本の選択だ!」と述べたのにそれが示されていたように思え
るんじゃがの。

そして、この伝統の下での大陸進出は可能だった筈じゃが、当時の日本は「有
資格」との自覚はなかったように思える。

西洋覇道というドラキュラに咬まれて、自分がドラキュラになっとるのに気付
かぬまゝ大陸へ、「宣戦布告にすると何やらと面倒だから事変にしておけ」と
の姑息、且つ違勅の進入を続けたのは、大いなる鹿の逐い方の間違いで、しか
も最終的に「負けた」が故に「侵略」になってしまったのと違うかの。

然し乍ら、少なくとも「満州」における権利は認める等して、必ずしも日本側
の主張の全面否定ではなかったリットン調査団の報告結果の受け入れを蹴飛ば
したり、「中国は一撃すれば終わる!」等と舞い上がり、アメリカのチャイナ
スクールやユダヤ資本の画策もあって、

「相手にせず」のはずの蒋介石にしてやられ、清朝崩壊後、半ば群雄割拠状態
の中国の諸勢力を一斉に「抗日」に向わせてしまったのは、将に大いなる「K
Y」の結果じゃなかろうか。

中国側は、国際連盟の総会で訴えたり、欧米メディアを通じたりして「日本悪
玉」を印象付けるのに成功したのに対し、日本側はといえば「東亜の解放」と
の大義名分を持ってはいたが、ーーー名分としての実際の中味が決まったのは
昭和18年になってからというから、

〜〜〜あまりにも遅過ぎて、お粗末もいいところじゃ。

序[ついで]に言えば、件の「南京大虐殺」騒動にしても、発端となった「ザ・
レイプ・オブ・ナンキン」を、中国系アメリカ人に書かせアメリカで出版させ
るというテキのメディア活用に、してやられたまゝじゃ――――。

また、近衛首相の「東亜新秩序」構想は、ぶっちゃけて言えば、先発毛唐組の
張った縄張りに対する縄の張り直し宣言みたいなもので、特にアメリカは自分
達の利権の制限を画したものと非常な警戒感を持った。

近衛首相としては至極大真面目な構想で、そのように受け止められることを想
定していなかったようで、皇族出身らしい「KY」じゃ――――。

しかもこのオッサンの極め付きの「KY」は、在中国ドイツ大使トラウトマン
が、蒋介石と日本軍との間に立って出した、参謀本部でさえ乗り気になったう
まい条件の手打ち案を、何をトチ狂ったのかこれを蹴飛ばしたことじゃ。

それでも飽き足らずにこのオッサン、「蒋介石を相手にせず」と又々ドデカイ
「KY」声明を発したが、それはトラウトマン案蹴飛ばしと相まって、その後
中国戦線を泥沼化に追い込むに至った実に重大なものじゃった。

国際連盟からの脱退を、当時は「栄光ある孤立」などと囃し立てたがトンデモ
な話で、実際は脱退により様々な情報が入らなくなって世界情勢に対する「K
Y」が深まり、それに既に無明道に陥っていたとしか思えない統制派独裁路線
と相まった結果が上記のチョンボであり、松の廊下のヒステリーもどきの真珠
湾への突入じゃなかろうか。

これは田母神氏の言うように、将に「嵌められた」結果じゃが「嵌められた」
こと自体が大いなる恥辱であるのに、氏のように、嵌められたゞけだから俺達
の落度ではないとの弁明は、恥の上塗りに過ぎなかろう。

「真珠湾攻撃」は、絶対に与えてはならない介入の口実をアメリカに与えてし
まったわけじゃが、これに関して最近、将にビックリ仰天の情報に出くわした
のじゃ。ーーーそれは、

皇居の中にもう一つの御前会議があり、そこでは対米英開戦が昭和13年迄に
は決定されていた、というもの。つまり2・26事件が収束した直後からその
検討が始まっていたわけで、事実ならばホンにオドロキ、モモノキじゃ。

2・26は、統制派による皇道派ぶっ潰しのためのやらせじゃったが、それは
皇道派の主張する対ソ連対策重視路線を腕力で排除し、自分達の主張の対米英
強硬路線を推し進めるのが目的だったとのこと。

将にトンデモなチャカ振り回し事件じゃが、それは昭和天皇も承知の上とのこ
とで、もう最上級のオドロキじゃった――――。昭和天皇の「馬曳け!」なる
弁は、反乱軍賊軍認定宣言と真犯人隠蔽へのパフォーマンスに過ぎなかったよ
うじゃの。

ーーー昭和天皇は、統制派の人物を殊更可愛がったとのことで、或いは、、と
の気がせんでもない。

グルー駐日米大使は、度重なる日米交渉中、日本側の提案が何れも前提条件ば
かりで抽象的な語句の羅列に終止し、具体的な中味が見えてこない、との苛立
ちを日記に書いており、本国へも打電している。

然し乍ら上記のような背景があったとすれば、首脳部としてはそれを交渉に当
る外相達に知らせる訳にはゆかず、言質を取られぬよう敢えて大使の言う「抽
象的」な内容に終始させて、交渉はしているとのポーズだけを示したのじゃな
かろうか。

東條首相は、戦後、戦犯としての拘留中、房内で「俺には開戦責任はないが、
敗戦責任はある」との弁を残したが、これは上記のことに関連した発言のよう
に思えてならない。

グルー大使は非常な親日家で、真摯に交渉に当っていたが、本国首脳はこの日
米交渉を、日本側をドンパチに引き込むまでの時間稼ぎとしか看ておらず、大
使の交渉を重くは看ていなかったようじゃ。

それでも大使は、ハルノートの内容の概要を事前に知ったとき「真珠湾攻撃」
を本国首脳へ打電している。ーーー大使がどうして知ったかは「?」じゃが、

ーーー道理で、真珠湾に航空母艦がいなかった筈じゃよーーー

「ハル・ノートのような失礼な要求を突き付けられたら、モナコのような小国
でも立ち上がるだろう」などとのリップサービス‥‥とわしゃ思っとるが‥‥
にその気になって、「そうだ、だから立ち上がったんだ」と力み返っとる御仁
が少なからずいらっしゃるようじゃが、これまた「KY」症候群じゃなかろう
か。

テキさんは、そんなことは先刻承知の上で、それまでも上野介よろしくチクリ
チクリとイビリ続け、最後の切り札としてこのノートを突き付けたら効果テキ
メン、松の廊下のヒステリーもどきに真珠湾へ突っ込んで行ったという次第?

皆さん、ハル・ノート、ハル・ノートと鬼の首でも取ったように仰るが、それ
を付きつけられるに至る、我がほうがやらかした「KY」チョンボに言及しな
いのは、

〜〜〜片手落ちなんじゃなかろうか〜〜〜

                           = おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「1日本人さん」50代@男性@近畿 日米が開戦しないで済まされた、と考えることが基本的に間違いである。 満州鉄道権益を日本が譲らなかったことが発端で、中国大陸における権益を独 占し、鉄道権益の復讐、即ち大陸からの日本駆逐が米国の目的であった。米国 の目的を利用し漁夫の利を得ようと、日本を大陸奥深く侵攻させ日米を戦わせ たのがソ連である。 このシナリオを見破れない限り、日米開戦は防ぎようがなかったのである。 日本の戦争責任をいうのであれば、イラク戦争の責任もイラクにのみあり米国 には全くないといっているのに等しい。 これも、ドル防衛、石油権益という目的の為、ハルノートまではいかないが、 相手が呑めない条件を吹っ掛け開戦に持ち込んだのであるが、中東に行ってア ラブ人に戦争責任があるといえるのであれば、日本にのみ開戦責任があるとの 主張を認める。 米国は、いつも自国の経済権益のためであれば戦争を行う国である、これを正 当化させたのが東京裁判である。
└────────── ┌──────────「歯軋りゴマメさんから」
コメント、有難うござりました。概ね仰る通リと小生も思うとりますのじゃ。 只、対英米開戦が真に必至なものだったか、という点については少々疑問もあ りまする。これについては目下取り掛かり中「歯軋りゴマメの自虐史観(4)」 で触れとる心算でありまする故、お読み頂ければ幸いと思うとります。 先の大戦につき、日本は対外的には「戦争責任」等一切ありゃせんが、対内的 には戦争指導部の国民に対する「敗戦責任」が厳然として在る筈じゃと思うと ります。 東條元首相が、戦犯として拘留されていた房内で「俺には開戦責任はないが敗 戦責任はある」と述べたのは、種々批判があったとはいえ流石は軍人であり、 服毒自殺してしまった皇族出身首相とは違うところじゃなかろか。 満州鉄道権益問題では、小村寿太郎氏はやり過ぎで、言うなれば「ヤクザの仁 義」違反ゆえ「てめぇ、この野郎!」とアメタカ組を本気にさせたとも言える んじゃなかろか。シマの遣り取りでヤクザのルールを無視したのも「KY」の せいだと思えてならんのじゃ。 ソ連ヒグマ組にしてやられたのは、2・26という統制派が仕組んだヤラセで 対ソ連対策重視路線の皇道派をぶっ潰したツケが廻ってきたんじゃなかろか。 英米戦敗戦必至ともいえる段階で、斡旋役をその危険性を必死で打電していた スエーデン大使館員を無視して、ソ連に依頼する御丁寧さは「KY」の極め付 けと言えよう。 東京裁判は確かにトンデモ裁判には違いはない。 国際毛唐組が、新興菊水血桜組をぶっ潰した挙句、手前ぇ達のシマまで手放さ ざるを得なくなった腹癒せを、暴力団のオキテでオトシマエをつけたのがその 実態じゃろう。然し乍ら日本はそれに対して文句は言えない。何しろその戦争 に負けたのじゃから。 戦争における最大の悪は「負ける」ことであり、それが如何に重大なことかを 考えようとはせず、それをサッカー試合のアウェーゲームで負けた程度にしか 受け止めていない風潮には、大いに違和感を覚えておる昨今じゃ。 小生の「歯軋りゴマメの自虐史観」をお読み頂き、種々感想を頂ければ幸い、 と思うとります。 └────────── ┌──────────「紋起さん」60代@男性@近畿 歯軋りゴマメさま、興味深く拝読いたしました。 ーーーどうしてもご提示の仮説に賛同できない部分がございますので、反論じ みて失礼ですが投稿いたします。 私は、先の戦争は日本が嵌められたというよりは、不覚にも袋小路に自ら迷い 込み、状況脱出のために大博打の戦争をやらざるを得なくなったものと思って おります。ーーーそれはともかく、 開戦を決断させたのは、米国による「石油禁輸」でありましたが、それを引き 起こしたのは「南部仏印進駐」です。石油禁輸は、英米の策略などでは全くな くて、日本の武力行使に対する対抗措置と解すべきことでしょう。 「南部仏印進駐」は、陸軍統制派が推し進めたものかといえば全くそうではな く、海軍軍令部の岡敬純部長と石川信吾課長が、陸軍参謀本部を説き伏せて、 「南部仏印進駐」の発案に「米英との開戦も辞せず」の文言を入れて御前会議 裁可を受けるまで至らしめたものです。 この時、野村駐米大使からは、南部仏印に進駐すると石油禁輸を含む報復措置 を受けると注進があったにもかかわらず、特別の考慮をなされることなく裁可 に至ります。 戦後、参謀本部の若手課員であった瀬島龍三氏の回顧談でも、「まさか、石油 禁輸までされるとは思ってもいなかった」と述べられております。そして、 実際に石油禁輸措置がなされたら、「このままではジリ貧となる。それよりは ドカ貧のほうがマシだ」と海軍は開戦を主張し続けます。2年分の石油備蓄が 底を尽くと海軍は動くこともできず、米海軍に蹂躙されると想定されるから、 そうなる前に一か八かの戦争となった訳です。 陸軍は、この局面に於いても英米開戦等のことには無関心で、支那事変の解決 と対ソ戦だけが主たる関心事でありました。ーーー従って「陸軍統制派がシナ リオを書き、天皇も賛同者として巻き込んで日本を対米開戦に導いた」という お話には首肯できないと考えております。
└────────── ┌──────────「歯軋りゴマメさんから」
紋起さん、重ねてのコメント、反論じみて失礼などとんでもありません。有難 うございました。返信が遅れて相済みません。 さて、石油禁輸措置の時点でも統制派は対英米開戦には無関心だったとのこと ですが、小生の理解ではそうではなかったように思えます。というのは、2・ 26事件後の広田内閣のとき、陸軍統制派幕僚グループが海軍軍令部と相談し その後の国策の基準を決めているからです。 それは、アジア大陸における日本の力を確保する、と同時に南方へ進出する、 つまり、ソ連に対して北方を守りながら南方へも進出する「北守南進」政策で す。ーーーこの政策の「南進」の部分は、結局のところ英米との対決を意味す ることは統制派も理解していたと思います。 それに、元々の統制派の持論「中国一撃」は、中国の背後にいる英米を刺激せ ざるを得ないものですが、大陸での陸軍の動きをみると、それを回避しようと の意図は看られず、寧ろ対決姿勢を強めていたように思えます。 なた、真に支那事変解決が主要な関心事だったとするならば、野村大使から送 られてきた「日米諒解案」を、何故松岡外務大臣が蹴飛ばしたまゝにしておい たのか疑問が残ります。 確かに、御前会議における開戦決議文の挿入は、急激に対英米強硬化してきて いた海軍中央部のゴリ押しの結果であり、太平洋戦争突入まで対英米強硬路線 をリードしていきました。 然し乍ら、対ソ連対策を第一とし、中国との関係は和平路線で解決すべきで、 「北」と「南」両面対策を同時に行う余裕など日本にはない、と強硬に反対し ていた皇道派を、2・26という狡猾なヤラセでぶっ潰してまで己の主張を押 し通した統制派も立派な開戦派ではなかろうかと思います。 果たしてこの「北守南進」は徹底し切れず、皇道派ぶっ潰しが最終的には「関 特演」のお返しとばかりのソ連の「対日火事泥宣言」という最悪のツケとして 回されてきたのではないでしょうか。 ーーー陰の御前会議については、確かに????の部分が多いのですが、何故 小生が興味を持ったのかを少し述べてみようかと思います。 NHK出版の「近衛家の太平洋戦争」という本の中に、グルー駐日大使と日本 の有田外務大臣との交渉を再現させている場面がありました。 それは、近衛首相の「東亜新秩序宣言(1938/11/03)」を巡ってのものでしたが そこでグルー大使は「日本政府の公式声明は、どれもこれも前提条件ばかりつ けてきて、果たして真意がどこにあるのかわからないものばかりだ。抽象的な 言葉の羅列で、具体的な内容がさっぱり見えてこない」との厳しいコメントで した。 ーーーそしてこの「宣言」により、日本側はこれまでの約束をすべて反故にし た、と自身の日記に書き付けてもいました。 グルー大使が、それまでのどのような日本政府の公式声明に対して上の如き発 言をしたのかは残念ながらトレースできていないのですが、察するに、定かで はありませんがその理由は、日本側としては具体的の心算でも先方にとっては そうではなかった、つまり、論理の進め方の彼我の差に日本側が無頓着だった のではないか、ということです。 然し乍ら、いやしくも一国の政府公式声明文の作成担当者が、まさかそんな? と考えているところに件の「御前会議」の情報が飛込んできました。 えーーーっ?マサカ、マサカ!と思いながらも、それなら敢えて言質を取られ ぬようグルー大使が苛立つような文面にせざるを得なかったのかも、と一応好 意的?に解釈するに至った次第です。 しかし仮に件の情報の通りとすると、一方で後の「日米諒解案」に陸海軍両大 臣、参謀総長、軍令部総長が大いに賛成し、近衛首相も大歓迎したことゝ矛盾 が生じます。 そして、グルー大使との交渉がマジなものだったとすると、声明文作成担当者 は論理の進め方の彼我の差に無頓着だったことになり、外務官としての資質が 大いに問われそうです。 と、まぁ、以上は「休むに似たり」の類の邪推?に過ぎませんが、 それでも一方では、或いはそんな「会議の決定」があったかも、と未だ捨て切 れずにいる始末で、紋起さんのコメントに小さくなっているところです。 以上、遅ればせで恐縮、拙いながら返信と致します。 └──────────
本当にそうだこのとおり!‥‥と思われた方!「誰でもできる!1人1日1回の愛国活 動」は、ここをクリックして頂くことからはじまります!ーーークリックして頂くと票数がアップして、この問題を多くの 人々に知らせる事ができます!
    
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