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わたしの主張:賛否何論可希望討論 |
☆ 敗戦日本の忘れ物―敗戦責任の総括(1) ――――― 2008/11/05
by 歯軋りゴマメさん
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紋起さんの「負けたらアカン」を拝読して、
今迄書いてみようかどうかと迷っていたものを書いてみる気になった次第。
なにを今更、
との感もあるが、独断と偏見じゃが、少々の間お付き合い下さらんかの〜。
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日本が敗戦に至った先の大戦につき、「内側ばかり責めて外側を責めないのは
自虐史観だ」とは小林よしのり氏の弁じゃが、逆に「外側ばかり責めて内側を
持ち上げてばかりいる」のは如何なものじゃろか。
敗戦に至る迄の過程には、内側にこそ大きな問題があったようにわしには思え
てならんのじゃ。内側の問題を避けたまゝの史観は、敢えて言うなら「臭い物
には蓋史観」じゃなかろかの。
政治的問題解決の一手段として戦争を選ぶのは、よしのり氏の言うように善で
も悪でもなかろう。然しながら、戦争における最大の「悪」とは「負ける」こ
との筈じゃ。
中国大陸進出が「侵略」にされたり、南京大虐殺事件をでっち上げられたり、
勝手裁判の極みの「東京裁判」に掛けられたり、GHQに洗脳されたり、それ
もこれも「負けた」からではないか。
戦争に負けたことの重みは重大な筈じゃのに、そうは受け止めとらん風潮には
我慢がならんのじゃ。日本には、勿論「戦争責任」などはないが、ただひとつ
「中華塵民凶悪国」という化け物の誕生に、結果的に手を貸したのが、最大の
「戦争責任」じゃ。
ーーー寧ろ重大なのは、戦争指導部の「敗戦責任」じゃなかろかの。
負けるには負けるだけの理由があった筈であり、その道筋を歴史として検証し
その「責任」の所在を明確にしておくべきじゃったのに、戦後60余年間もそ
れを怠ってきた、のが最大の問題じゃなかろかの。
東久邇首相の“一億総懺悔”や“国民の道義が廃れたのも敗戦の一因”なる弁
は「そりゃ聞こえませぬよ東久邇さん」じゃ。
真っ先に総懺悔すべきだったのは、大元帥陛下以下の「指導部」だった筈で、
道義が廃れていたのは、国民より寧ろ、指導部やそれに参画していた朝香宮、
閑院宮等の皇族のほうで、皇族の厚かましさ丸出しの発言じゃ。
南京事件の責めを一身に負い、東京裁判で死刑となった松井石根大将は全くの
濡れ衣であり、真に責めを負うべきだったのは、火のないところに煙を立たせ
た上海派遣軍指揮官の朝香宮じゃなかうろか。
あの戦争の動機を、敗戦という結果の免罪符に使っているのは許されん事だと
思う。そして、実に声高に「東京裁判」の不当性を主張する一方で、敗戦責任
を、有罪となった被告達にだけ押し付ける形でこの裁判を利用しているのはと
んでもないことじゃなかろかの。
無論、国民にも責任の一端無しとは言えぬが、指導部との間には責任の軽重に
おいては雲泥の差があるではないか。
レイテ作戦から始まった特攻作戦の大西中将の、昭和天皇への報告は実はこれ
以上の戦争遂行は不可能とのメッセージに他ならず、手打ちの時期を暗示した
ものじゃったとのこと。
然しながら、「転んでも独りでは起き上がれない鈍行列車のヒロ」(秩父宮談)
には通じる筈もなく、もう一撃相手側に食らわしてから、などとの恫喝込みの
ゴマスリにその気にさせられて、
沖縄戦から原爆洗礼を経て、ソ連の割り込みに至るまでズルズルとその時期を
ずらし続けた「鈍行列車」大元帥陛下の責任、及び陛下にそうさせた取り巻き
幹部連の責任は絶大なものじゃなかろうか。
よく「後からなら何とでも言える。仮にそれが狂気だったとしても、その渦中
でそれを止められなかった以上、その責任については誰にも発言する資格はな
い」との弁を聞くが、
ーーー冗談ではない。
後からしか言えず、また後からでしか分からぬシステムになっていた以上、そ
のように利用する他ないではないか。敗戦に至る迄の道筋の検証を、こうした
言い方で封じ込めてしまうのは、責任を有耶無耶にするための詭弁としか思え
ない。
小林よしのり氏は「あの戦争は間違ってました、ごめんなさいゴメンナサイ」
とは、良い子ブリッコのアホウ面、と揶揄したが、逆に「悪いのはアイツ等だ
俺達はちっとも悪くない」(‥‥確かにそれはそうなんじゃが)
ーーーそれだけで、えぇんじゃろうかのう。
= おわり =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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