郊 外 漫 漫 遊 遊 | うららかな風に誘われて.... 郊外をのんびりブラブラしてみませんか
|
原記:2002/04/01
さて食後、探検隊に行こうぢゃないかッ!!
先ずはすぐ傍の、張謇先生の墓所、の、正門。。を、写真に撮って、刻まれて
いる文字を見る。
うーーん、こりゃ隷書体というんだったかな?ゼンゼン読めない。。
奥に進んで、、張謇先生の墓所。
中央に一段高く大きな棺の安置処。その奥の台座の上に等身大の銅像。
そしてその右側には、弱冠38歳で亡くなられた、先生のご子息のお墓が並ん
でいました。
┏━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 張謇先生墓所の正門 ┃
┃ (この写真です) ┃
┃ 刻まれている文字は ┃
┃ 全く判読不能でした ┃
┃ ┃
┃ 墓所の張謇先生銅像 ┃
┃ ┃
┃ 張謇先生子息の墓所 ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━┛
さて、ここでちょっとひと休み!して、遊びましょう!(^O^)
この写真に写っている立派な建物、、なんだと思いますか?
もちろん、この公園内の施設です。職員住宅じゃないですヨ。。
下の答を見ないで、、分るかなぁ〜‥‥
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
答は、、
・
・
・
・
・
・
・
・・・・・・・・公共厠所=トイレで〜す!
汚い汚いといわていた中国のトイレも、最近はドンドン新しく造り替えられて
きれいなものに変わってきています。
勿論ちゃんとドアも付けられています。
が、それは都市部での話。。
大部分の農村部は、、こないだの“如皋へ・・”みたいな感じのままですから
そのつもりで・・
さて、
トイレの前を素通りして更に進むと、白壁のかなり大きな建物がありました。
けれど看板が何もありません。
こりゃ何に使われていた建物か?
グルッと回り込んで横手のほうへ。
あった!看板が掛かっていました。。が、、なにー?“餐廰”!?
この白壁の建物全部が張謇先生の“お食事の間”?!
すッげー〜ッ!!
と、驚きながら、、また小橋を渡って前進・・
今度はなんだ?!・・ろう?
道のむこう、池に面して・・近寄ってみる・・中まで進んでみる・・
壁に水槽が造り付けられて、、中には金魚がピラピラ?!
(あとでパンフレットを見てみたら、“観魚廊”という建物でした。)
先生ご存命の頃、まさか金魚を観賞していた、、わけではない‥‥よなぁ‥‥
┏━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ これが“餐廰”!‥ ┃
┃ (この写真です) ┃
┃ ┃
┃ 前方にご覧いただけ ┃
┃ ますのが、金魚が泳 ┃
┃ いでいた“観魚廊” ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━┛
観魚廊の前の、張謇先生が本当はこの池に群れる魚を観賞されていたんだろう
なぁ、という池を、グルッと巡って観魚廊の右裏手のほうに回ってみました。
こちらは完全に、裏方さん達のスペース、、という感じです。
草深き中に古い建物が見えましたので傍まで寄ってみました。
あー、こりゃーその頃の従業員宿舎だ。。
長屋風の建物に、ズラー〜ッと部屋が並んでいました。
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 現在はガラクタの物置 ┃
┃ として使われているよ ┃
┃ うでした。 ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━┛
しかし、こうして回ってみてみても、肝腎の張謇先生のベッドルーム、、とい
うかお住まいというか、住み暮らしていた建物が見当たりません??
ドコかな?
取って返して、、観魚廊前の池の遥か彼方の反対側、に、うすぼんやりと建物
が見える? あれがそうか?!
またまた回り込んでみました。(なにしろ広いんです。。)
‥‥たら、やっぱりそう、これぞご本宅!でした。
┏━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 観魚廊前の池の反対 ┃
┃ 側からうすぼんやり ┃
┃ (この写真です) ┃
┃ ┃
┃ 正面に廻って近影。 ┃
┃ ┃
┃ 少し離れた場所から ┃
┃ 全体を撮る。 ┃
┃ ┃
┃ 本館のスグ脇には、 ┃
┃ たぶん“桜”の木が ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━┛
探検隊は、尚も進みます。
でも、こりゃ裏門?に通じる道かな?。。案の定、鍵のかかった裏門に出て、
行き止まり。。
引き返すことに致しました。
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃
┃ 裏門へ続いている小道 ┃
┃ 両側は鬱蒼たる?竹薮 ┃
┃ ┃
┗━━━━━━━━━━━━┛
おいしいお弁当をいただいて満腹。(^O^)
園内探検もけっこう面白かったぁ。(^O^)
と、大満腹!大満足!のうちに、この日の南郊公園ピクニック行は幕を閉じる
時間となりました。
帰りに中央広場に差し掛かりますと、中学校か高校の団体が、ワイワイと元気
よく記念撮影をしていました。
(注) 状元とは?
「科挙」・・隋・唐の時代から始まって清末まで続いた中国の官吏登用試験。
先ず自分の郷里の州や県での試験にパスして、府の試験「童試」を受けます。
「童試」に合格すると、3年に1度行われる上位の試験に挑戦できます。
その試験に合格すると「秀才」。
やっと府の学校に入ることができました。
次は「郷試」。
郷試も3年に1度だけ。。9日間に及ぶ試験だったそうです。
郷試に及第すると「挙人」という称号が与えられました。
「秀才」に合格するだけでも、子々孫々に名を残せるような快挙ですが、更に
「挙人」ともなれば、鳴り物入りで故郷に錦を飾れたそうです。
‥‥が、まだ続きます。
「挙人」は、「郷試」の翌年にやはり3年に1回の「会試」に挑戦できます。
「会試」も9日間続き、これに合格できたら「貢士」。
そしてすぐに、最終試験「殿試」に臨むことになります。
これにも勝ち抜くことができれば「進士」という称号が与えられ、その姓名が
皇城の門外に掲げられて最高の栄誉とされたそうです。
「進士」ともなれば、一般人からみればもう雲上人(に等しい存在)でした。
「進士」の号を獲得した者のうちのトップの三名には、上から
「状元」「榜眼」「探花」という称号が与えられました。
「童試」で「秀才」→「郷試」で「挙人」→「会試」で「貢士」→「殿試」で
「進士」→更に「進士」中の「状元、榜眼、探花」
‥‥その、状元! ・・・・・・・・スッ・ゲ〜ー・エッ!
______________________________________________________@aaaChinachips__
[[[[ 2002/05/03≪南郊公園に遊ぶ≫感想 ]]]]
ブラジル人さんから。―第95−1号の記事について―
--------------------
今回の記事も中国らしい内容で、大変面白く拝読しました。
写真はなくても、6歳まで頃の記憶(山西省太源市城外の1棟2軒煉瓦住宅地
付近)TV番組(大地の子)報道写真等かって得た映像で補うと、自分が実際
に体験したかのように自分の中にこの記事が記憶の一部と化し、呆けが来たと
きに周りの人間に何回も聞かせてしまいそうなほどです。
______________________________________________________@aaaChinachips__
(^^) OJIN です (^^)
ブラジル人さん、もう“呆けが来たとき”のことまで考えていらっしゃるんで
すか?
たいへんな例えでお褒めを戴きましてありがとうございました。
文字だけのメルマガで、画像主体の記事を“読んで”いただく、、ことができ
ないもんか‥‥もうちょっと工夫が必要みたいです。
これからも、ご鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 新情報やご意見をお待ちしております。
|