安旅安宿旅行体験記
☆ カルカッタ編(4)「乞食さん(前編)」――――――― 2002/02/13
                          by 藤田健さん

途上国を旅していると、物乞いの人たちとの出会いは日常的だ。
食事中、すぐ脇で食べ残しが出るのを待たれてしまった事も幾度かある。こう
なるともう、食べ物もなかなか喉を通らない。追い払おうとしても、近くで恨
めしそうな顔をされてしまっては強行に追い払う気にもなれずに困ってしまっ
た想い出もある。

初めて道端で乞食に真正面に立たれ、往く手をふさがれた時には、面食らって
逃げてしまったような気がする――――。

あげるにしても、幾らあげたら良いのかよく分からないし、人に施しをすると
いう事に何かしらの抵抗感もあった。なんだか、相手を見下しているようで。

そんな思いを抱きながら、他の旅行者はどうしているのかと思って眺めてみる
と以外にきっぱりと乞食を無視したり追い払う人が多いのにまた少し驚いた。
そこで彼らに、乞食に施しをしない理由を聞いてみたところ、大旨以下の意見
に集約されるようだった。

1−乞食業の収入が真面目に働いている人よりも多いことが間々あるので、真
面目な勤労者の労働意欲を殺いでしまうから。また、彼らに気軽にお金をあげ
ると、彼らはずっと働こうとしないから。まあ“働かざるもの食うべからず”
ということである。

2−子供の乞食の場合などは特に(乞食として子供の方が稼ぎやすいので)背後
で親が糸を引いていたり、場合によっては組織的に子供に乞食をやらせてピン
ハネしているマフィアが絡んでいる場合があるため。ーーーこの意見も、幾ら
乞食にお金をあげても大して彼らの為にはならずに、逆に悪人の懐を肥やすだ
けなのでやめるべきだというものだ。

この二つの意見の持ち主は、より良い社会を作る為にも乞食に施しをすべきで
ないという真面目な人に多いように思う。また他に多い意見は、

3−町じゅうにいくらでも乞食はいるので、あげだすときりがないから。さら
に、次々に乞食が集まってきて囲まれてしまうのが怖いから。

という旅慣れていない旅行者の身を案じてのアドバイスである。

どれも、なるほどと思わせるものがある話だったので、私も乞食には施しをし
ないことにして旅をしていた。――――しかし、いくら理屈の上で割り切って
はみても、目の前にボロをまとった物乞い立たれると、

しょせんは(いくら貧乏旅行と言い張ったところで)フラフラ観光旅行ができる
ようないい身分の我が身を比べてしまい、乞食を振り払った後の後味の悪さは
いつまで経っても決して消すことはできなかった。

ならばいっそのこと、彼らにお金をあげれば良さそうなものなのだが、これが
その場になるとどうしても踏ん切りがつかなくなってしまう。困った事に私は
納得しないと動けなくなってしまうというメンドウクサイ性格の持ち主なので
ある。ーーーそんな想いを引きずりながらインド旅行は始まった。
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インド入国の翌日、ブッタガヤ(ブッタが悟りを開いた聖地)で1人の日本人女
性に出会った。――――彼女は、大手化粧品会社企画室の職を辞して、世界一
周の航空チケットを手に日本を飛び出した、大人の魅力あふれる女性だった。

ブッタガヤの静かな菩提樹の木陰で、私は彼女と楽しい語らいの時間を持てる
幸運に恵まれた。そこで彼女は「最近やっと私も素直な気持ちで乞食にお金を
渡せるようになったのよ」と穏やかな声で話してくれた。

その時の私には、その真意がよく分からなかったが、何故か心に深く沁みいて
響いたのを今でも思い出す。けれど、その言葉に共感できるようになるまでに
は、更に二年の歳月が必要だった。

そんな言葉に心を動かされながらも、やはり日々の旅行を続ける中では、次々
とたかりに来るインド人達と戦い、彼らにしてやられぬように我が身を守るの
に精一杯だった。だから、なかなかインドの普通の人々(ツーリストを食い物
にしている訳ではない人々)に添って、まわりの出来事を眺めるような余裕は
なかった。

しかし、インド人の剥き出しの生存競争の只中に、日本のぬるま湯の中でぬく
ぬくと育っていた青年がいきなり飛び込んだのだから、やはりその目に映った
インドの厳しい現実と、初めて目にするあまりにも多くの人々の貧しさは、深
く心に刻みこまれた。そして、その後永く考え込まされたーーー。

一日スコップをふるって、日本でなら一万円ぐらいになるのに、何でインドで
は200円足らずにしかならないのか。。その矛盾に満ちた現実を納得させて
くれる答えは、日本人は優秀で勤勉だから経済的に恵まれているんだとか、為
替がどうしたとか、いくら経済の仕組みを勉強しても遂に見つける事はできな
かった。

そうして日本に戻ってからも、自分の心に大きく覆い被さったままだったイン
ドの現実ともう一度対峙する為に、二年後、再びインドの土を踏む事になるの
である。
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インドを旅していると、乞食の質が他国と明らかに違うことに気付かされる。
インドでは、偉そうにしている乞食がとても多いのである。胸を張って乞食を
していて、お金をあげても礼ひとつ云わず「ウム」と頷いてみせたりする乞食
も多い。渡すお金があまりに小さいと、馬鹿にするな!”といった感じで露骨
に不愉快な顔をする乞食もいる。

たかが乞食なのに、哲学者のような雰囲気を携えた乞食もいる。

私の友人で、乞食にタバコをせがまれたので“マイルド7”を1本あげようと
したら、「ワシャぁ、紙巻タバコは好かんのじゃ」と云ってつき返された人も
いる。この乞食さんのお好みは“ビリー”という葉巻みたいだけれど、超安物
のタバコだったのだ。

ヒンドゥー教には、富める者は貧しい者に喜捨(施し)をする義務があり、そう
いう善行を積むことにより来世での幸せが約束されるといった考え方がある。
これを乞食の立場から見れば、“富める者は我々に喜捨をするのが当然であり
善行を積む機会を与えてやったのだから感謝してもらいたい”といった感じに
なるらしい。

そんな関係からか、どことなく乞食業(?)にプライドを持っているのでは?と
思わせる顔つきと態度を示す乞食さんにもよく出会う。

また、ヒンドゥー教では子育てが終わって老境に入ると“サドゥー”となって
一切の持ち物を棄てて修行の旅に出ることが理想とされている。その形相は、
どこか托鉢に回るお坊さんに似ている。サドゥー”の姿というのは、物欲を断
ち切るため酷くみすぼらしく、というのが理想とされているようで、時に素っ
裸のサドゥーさえ見かけるほどだ。

俗世間を捨て去ったサドゥーというのは、ヒンドゥー教では聖者に近い存在ら
しく、けっこう喜捨が集まりやすい。すると当然偽者乞食サドゥーも現れる。
だから、どこかサドゥーの風格を備えた乞食がいたりするのだろうか。ほんと
うは、乞食とサドゥーでは、天と地ほどの差があるのだが。

                           = つづく =
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