☆ 香港盗難事件(1) ――――――――――――――― 1996/04/29
by ブーザンさん
−1
香港へ始めて行ったのは、1993年の事。
中国人独資で、広州へ工場を建設したい。しかし、指導をしてくれる人がいな
い。なんとかブーザンに行って欲しい、と大手商社から最初に打診があったの
は1992年の事。
半年の間に何度も自宅まで来て、なんとか中国へ行って頂けないかとの言葉。
悩みに悩んだ末、その商社マン2人と同行し、広州で相手の中国人と会ってみ
ることになった。
会ってみると、相手の中国人ご夫妻は26歳と29歳で実に若い。奥さんの実
兄が手広く商売をやっており、その実兄の出資で200人程の工場を建設した
いという意向を、通訳を通じてブーザンにうったえた。
−2
この時点でのブーザンの中国語会話力はゼロ!何を聞いても分からない。ただ
広東語の語調が妙に懐かしく感じられた。というのも、日本で広東映画を多く
見ていたからだ――――。
話の内容は分からないが、語尾をのばすあたりに親しみを覚えた。その広州行
きの帰りに香港へ立ち寄り、香港の街並みを歩いた。まだこの時点では、中国
へ行って指導する事を承諾はしていなかった。
−3
その翌年の1993年、今度はプロジェクト案を持って、再度広州へ行く事に
なった。
広州で出迎えてくれたのは、半年前に夢膨らませ将来を語ってくれた若夫婦。
1週間の日程の間に多くの事について話し合いをした。
そしてこの時、ブーザンは中国行きを決定した。
すぐに新地での工場建設が始まり、1994年その工場へ赴任する事になる。
その帰路にもまた香港の街を2日間程見て回った。夜の香港は、特に感慨深い
ものがあった。
−4
1994年、広州工場へ赴任するまでに合計4回香港へ行った。またその工場
に赴任してからも、毎月2回は商談も兼ねて香港へ出張した。その当時は広州
から香港へ行く時は、広州駅右隣の香港行き直通列車を利用した。約3時間の
道のりである。
もし飛行機を利用して広州(白雲機場)から香港(啓徳機場)へ行く場合は、フラ
イト自体は30分だが、飛行場との行き来に時間が掛かるので、短いとも長い
とも感じたが、費用は鉄道のほうが絶対安いのでいつも鉄道を利用していた。
−5
ブーザンが置き引きに遭ったのは、1996年の4月29日午後2時頃の事。
地下鉄、尖沙咀[チムサーチョイ]駅のひとつ手前、佐敦[ジョーダン]駅で下り
て、ネイザンロードをチムサーチョイのほうへ行って、仕事を一件片付けてか
ら商社へ向かおうと思い、電話で確認したところ、
「今、アメリカからのお客さんと商談中なので、2時間後にお願いします」と
いう返事がかえってきたので、商社へ行く予定を変更して先に銀行へ行く事に
した。
金馬倫道[カメロンロード]寄りの恒生銀行へ行き、米ドルを72000HKド
ルに両替、自分の財布のなかにあった6000HKドルと一緒にしてカバンの
中へ放り込んだ。
−6
香港の5月の気候は結構蒸し暑く、ジャケットも脱いだが邪魔なのでヤッパリ
カバンの中へ・・・。この時点では盗難に遭うことになるなどとは夢にも思わ
ず、胸にしまっていたパスポートもバッグの中へ・・・。
この日は、中国工場で製作したサンプルを香港の商社に届けるため、深セン廻
りで羅湖[ローフ]から九廣鐡路で香港へ入り、九龍塘で地下鉄觀塘線に乗換え
油麻地[ヨウマテイ]で更に地下鉄を乗換え佐敦[ジョーダン]駅に降り立った。
この時、バリーのカバンの中には、ジャケット・翻訳機・ダンヒルの財布・商
品サンプル3点と、カメラ・パスポート・78000香港ドル・日本円20万
が入っていた。
= この話つづく =
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