中国パワーの源を探る
☆ 林祥冬のシュガー ――――――――――― リライト 2007/12/03
                       初回掲載 2004/01/11

                          by HAJIMEさん

―――― 98年、
東莞市常平鎮の某日系精密プレス部品工場に居た時の忘れられない思い出。

私は「技術課」という部署におかれていた。そこはつまり、金型の設計と製図
をする部門で、6〜7人のスタッフが、金型の設計と図面描きと金型修理部門
への技術指導、現場の問題解決など、実に雑多な仕事を、すごいガンバリでこ
なしていた。

私は、というと、金型のことなどサワリしか分からず、製図も初歩しか分から
ず、ハッキリいって彼等の中の一番ドベの18歳の女の子より更に遥かに低い
レベルで..仕事なんて何もしようもなく..実際、何もしていなかった....。

最年少は18歳の女の子。いちばん大きいのがその部署のリーダー(当時組長
ぐらいだったと思う)の林祥冬[りんしゃんどん]という男の子で、確か22歳
だった。林祥冬を始め、そこのスタッフは、全て学校から直接この会社に送り
こまれて、(妙なブローカーを通して学校ごと試験を受けたか何かで)試験時に
数学の成績が良かったのを選抜したのだそうだ。

私はとにかく、この子達にもの凄くビックリした。多分この時点までの31年
間の人生で、一番目か二番目ぐらいにビックリした――――。

ーーー頭がいいのである。

金型というのはものすごく難しいものなのだ。その道の人は分かるでしょ..。

しかも、彼等がやっているのは、寸法誤差が100分の1ミリとか1000分
の1ミリの、たいがいが手の平に乗るぐらいの、名刺よりずっと小さい精密部
品の、しかも「プログレ型」(ひとつの金型の上に全ての工程がのっかってる)
である!!

―― 私は、何も仕事をしないまま1年半いたーーーー。

最初に基礎理論をカンタンに教えてもらったが、最後までついにその図面が読
めるようにならなかった。ーーーもの凄く細かくて、複雑で難解で数学で物理
なのだ====。

日本の会社でも、フツーの人は、現場で2〜3年金型を作ったり修理したりす
る仕事をやって、その中から見込みのある人を引き抜いて設計に持って来るも
ので、イキナリ分かるもんではないのだ。

しかし、彼等は長くて1年、短い子は2、3ヶ月の金型部での修業の後、イキ
ナリ設計してしまうのだ!!そこには、部門ごとに2〜3人の、日本の工場か
ら派遣されている、現場ゴリゴリの"技術顧問"がいて、

彼等はもちろん、金型部では金型部の"顧問"に、技術部に来てからはプレス部
と金型部の"顧問"に指導を受けるのだが、学校出たてのマッサラから始めて、
聞けばまだ2年です、1年です、3年です、、とは信じられない高度な技術、
能力レベルであったーーーー。

私が、自分が勉強しても勉強しても分からなかったから、余計彼等が偉大に見
えるだけではない、、その"顧問"たちも、また、日本の本社の技術設計部の部
長さん(大学出)も、出張で来る度に彼等の早過ぎる成長とズバ抜けた能力に、
心の底から感激してシミジミと、「すごい連中だよな、日本にもあんなのいな
いよ」と言ったものでした。

―― だって彼等は、いずれも中卒なのである。

うち数人は中卒後短期の専門学校----1年制や2年制の主にコンピューターを
勉強する----を出てはいたが、だから例によって、英語は全く全然わからんの
だ。これだけならまあ、中国は人口も多いし、優秀な子でも家庭の事情で上の
学校にいけなかったんだなぁ、で納得しようと思えばできる。ーーーでもこれ
だけじゃあなかった。

☆☆ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄☆☆
☆☆ 人格的に非常に立派だったのである。☆☆
☆☆__________________☆☆

組長の林祥冬が22歳。その助け手の副組長の呉鈴[う〜りん]は21歳。

その他のスタッフは19歳・20歳・18歳。ーーー中国の若者は、すぐ年齢
を逆サバ読みするので(実際の年より1、2歳多くいう。日本と反対だわな)、
はたしてこの年齢も本当だったのかどうか??

―― 当時31歳の私からみたら、とにかく子供なのである。

が、彼等は人間的にすばらしくでき上がっていたのだ。ーーー毎日毎日毎時毎
分毎秒ごとに、彼等が繰り広げる人間ドラマが、ひとつひとつ日本の子供向け
の、いや、大人向けの「世界偉人伝」みたいな本になりそうな。NHK夜9時
15分の銀河テレビ小説にして、日本中を感動と反省の嵐に巻き込みそうな。

仕事に全身全霊全血液全時間全気力、を、それこそ1万分の1ミリリットルさ
え余裕を残さず投入するのである。そしてそうすることに、アリの触角ほどの
迷いも疑いもないのである――――。

基本的には昼番が朝8:30分〜夜8:00、夜番が夜8:00〜朝8:00
の2交替で出勤なのだけど----工場は24時間操業なので、設計部門は現場で
問題発生時のサポートのため、1〜2人が夜番に回る----昼番の子は不文律と
いうか、その時間では仕事が終わらないので、フツーは11時〜12時頃まで
カブッテ働き続ける。

それは夜番の子も同様で、8時にハイサヨウナラと帰る子はいない。

「だって開発区の子っていうのは、基本的にお金を稼ぎに来てるんじゃないの
?残業すればするだけ給料は増えるんだから、そりゃあ、人に言われなくたっ
て自主的に、なるだけ長時間働くでしょ」

ーーーと、開発区について少し知っている日本人なら言うだろう――――。

たしかにそれはその通りで、この会社も、残業手当はほぼ100%つくので、
どの部門の子達もお金のために残業し、日曜日も自主的に出勤するもんなんで
ある。ーーーしかしね〜、

金型というものを少しでもやった人はご存知でしょうが、あれは問題が起こる
とその原因分析して、適確に修理して、それを確認するためにプレスにのっけ
て試しに打って、それを分析して..っていうのはすごい時間がかかるのです。

ーーー新しく作った金型を、さあ試し打ちだ!っていう時も同様です。

どちらも、量産または生産開始のスケジュールノルマがあるから「あーー今日
はもういくらやってもダメだから、いったん帰って明日やり直そーやー」とは
やれないものなんですね。(日本だとまあそういうこともあるかもしれません
が・・・)

するとどうなるか。

当然、朝から出勤して徹夜して、まだ終わんなくて帰らず、そのままやり続け
る、ーーーなんてシュチュエーションはしょっちゅうになるのです。金型部の
スタッフは交替できますが、設計スタッフはほとんど交替しない。なぜなら設
計担当者でないと分からない部分がたくさんあるから。

我々日本人"顧問"は、よほどの重大問題でない限り、そうやたらに徹夜などし
なかった。「じゃ、任せたよ〜。何か困った事があったら電話くれよ」と彼等
に丸投げで帰ってしまうのが常でした――――。

翌朝、現場の水道で顔洗ってる林祥冬や呉鈴やスタッフを見て、何ともいえん
気持になったのは10回20回50回じゃきかない。まあ、私が一緒に徹夜し
たって、何の役にも立たんのではあるが....。

ある時、ものすごく重要で緊急な金型の図面を、呉鈴が設計することになり、
しかし悪いことに彼女(そうです!!女の子なんですよ!!)が、非常に重い胃
病!----神経性の胃炎のようなもの----にかかっていました。

本当は、休んで入院しなければいけないのに、その図面を肩替わりしてくれる
人がいません。難しい金型なので、林祥冬か呉鈴でないと設計できないのです
が、林祥冬は林祥冬でやはり緊急の金型設計をいくつも抱えていて、どうにも
アンパイできないのでした。

―― さあ、呉鈴はどうしたのでしょう。

彼女は、毎日3時まで残業し、一日でも早く図面を完成して、それから休むこ
とに決めたのです。ハタで見ていても、その表情や身体の動きから、胃の具合
が本当に耐え難いものであることがこっちも痛くなるほど伝わってきました。

ご飯もほとんど食べません。ーーー食べられないのですーーー

最後は、ほとんど連続で徹夜でした。私はこの時、..生まれてはじめて..31
年目にして、「病気で顔面が蒼白」という状態がどういうものかをこの目で見
たのです――――。しかし、彼女の口からは、ひと言としてグチとか恨み言と
かは聞かれませんでした――――。

そんな半死状態でも、然し最も良い金型を作らんとして眉をしかめ、顔をゆが
めながら、すごい気迫でアレコレ技術的な質問を日本人にマシンガンのように
ぶつけるのでした。――――図面が完成して、彼女はやっと休みをとって、崩
れるように病院へ行きました。

色白で、顔が小さくて細くて、本当にまあ、カワイイカワイイ女の子です。

外見だけ見たら、どうしても、あんなに難しい図面を描き、自分で工具を持っ
て金型を修理し、時には150トン300トンプレスの間に入りこんで金型を
見たり調整したりするなんて全く信じられない、弱々しいフンイキの女の子で
す。

私は、この部門につっこまれたものの、彼等に対して何をしてみようもなかっ
たわけです――――。管理しろとか言われても、もう林祥冬が、22歳とはと
ても思えないでき上がりぶりで、6〜7人のスタッフを文句のつけようのない
すばらしいシステムで統制・管理しているわけですから――――。

林祥冬はまた、人間的にも性格的にも大変に立派で、頭はもういうまでもなく
怖ろしく切れるし、仕事の能力、人間の動かし方、責任感、、どこをとっても
一流も一流でありました。

なんでかこの時は、やっと組長(班長だったか?)になっただけで、当然給料も
組長給料(800元ぐらいだったのか?)でしたが、工場全体で比較しても、課
長や主任になってる他の部門の若者より、林祥冬のほうが明らかに大きく勝っ
ていた。ーーー頭3つぐらい抜きん出ていた。で、みんなもそう言っていた。

日本人の総経理が、何か意図があってか故意に彼の昇格を抑えていたようだ。
----「急に出世させると本人がテングになるから」とか言ってたが..でも明ら
かに能力、人格ともにふさわしいんだからいいじゃんかよ〜、絶対ひがんでん
だよな・・・・

林祥冬の部下にあたる設計部員の男の子達は、私が居たたった1年半の間にも
何回も入れ替わった――――。仕事がつらくて辞めてしまうのである。辞表を
もらうと、一応飾りものである私が説得するのであるが、

「給料が安いのに残業が多過ぎる。金型の仕事は肉体労動の部分が多く、身体
的にもキツイ。よその会社にいけば、同じ仕事内容で、いや、もっと楽でもっ
といい給料がもらえる」ーーーというのがたいていのパターンだった。

その通りなのだが、フシギな事に、一番シンドイはずの林祥冬は決して辞めな
かった。金型に問題が起きれば、寮に帰ってからだって、夜中の2時、3時に
呼び出されて、そのまま徹夜で翌日フツーに働く、なんてしょっちゅうで..。

しかも、事実上工場全体が彼の肩にかかっている状態で、でも名義上の身分は
組長でしかない、給料も安い、という、どう考えても不満でいっぱいのはずの
状態だったのに――――。

この頃ノートパソコンを買い、インターネットを手に入れた私は、日々メール
で、友人知人、はては「出会い系サイト」で紹介された男性数人にまで林祥冬
や呉鈴や他のスタッフ、そして工場の各部門の20歳前後の若者達が、いかに
立派か、

人間的にできあがっていて、それでいておそろしく純粋か、こんな若者がきっ
と中国のそこいら中の工場や会社に何百万何千万といるにちがいない。日本は
どうなっちゃうのか。このままでは中国に勝てっこない....などという内容の
「黙示録」を送りまくっていた――――。

当然だが、出会い系サイトの男性方は、すぐ返事をくれなくなった。なかには
「もっと女性らしい内容を書いて下さい」などと言ってくる人もいたーーー。
トホホのホ・・・・(時に、前回帰国時にテレビの「放送大学」を見てたら、
大学の先生が、この「黙示録」と同内容のことを講義していたぞ。・・ふふふ
・・・私は6年も前に、とっくに警告しとったんじゃい。‥‥‥だから何?)

仕事の内容からいったら、工場のどの部門よりもツライ、キツイはずの技術部
が(頭脳労動もある肉体労働もある、精神的プレッシャーはすごいのに、残業
もものすごく多い)しかしいつ見ても活気に満ちて、和気あいあいとし、1人
1人が明るく素直で、かしこく、それなのに全然そのかしこさを鼻にかけず、
謙虚でまた礼儀正しい――――。

仕事に対しては、ものすごく自主的、自発的、責任は最後の1ミクロンまでと
るというムードに溢れていたのも、林祥冬の人徳がスタッフ全員に反映したも
のだと思う。

―― そんな彼等がいつものように全員で残業しているある夜のことだった。

林祥冬が、「みんな!お腹が空いていないか?僕は今ちょうど糖= tang タン
=キャンディ・砂糖)を持ってるんだ!輸入品だぞ!!みんな、欲しいか?」
と言う。

みんなが「わーーーっ!!本当?欲しいわ!!欲しいわ!!ちょーだいちょー
だい!!」と、今まで全員黙りこくってドラフター=製図用の机)にねばりつ
いていた子供達が、いっせいにフツーの若者の表情になって林祥冬のまわりに
群がった。

林祥冬が、何かをポーンポーンと放ると、子供達がキャーキャーとそれをうば
いあっている。傍で聞いていた私は、「輸入品の‥‥キャンディ?」

毎日残業残業で、プライベートタイムなど全くないハズの林祥冬が、どうして
そんなもの持っているのか?‥‥日本人の誰かに貰ったのかな‥‥と思ったが

子供達がみんな、上を向いて同じ格好で何か口に流しこんでいる・・・???

よーく見ると、それは喫茶店なんかでコーヒーの脇についてくる、紙パックの
白砂糖であった。あの、35ミリ×40ミリぐらいのアレである。林祥冬も、
子供みたいな顔になって袋の砂糖を口にザーッと流しこんで大得意である。

みんなも、本当にうれしそうで「もっとちょうだい、もうないの?」と大盛り
上がりである――――。

・・・輸入品のワケがないーーーー。

どこにでもある、それこそ常平の茶餐庁の5元のコーヒーについてくるのと同
じものだ。なんで輸入品だと思ったのか?ーーーー袋に白地にグリーンの字で
 "SUGAR"とたくさん印刷されていたからだ。

----中国語は1文字もない、、、、フツーそうなのだが、、。

―― 200人の大規模な工場の、

事実上の技術部門工場長である林祥冬の、しかし仕事以外では17歳で田舎か
ら出てきたまま(なんでも広東省のどえらい辺鄙なところだそうだ)のおぼこな
一面を見て、そのおそろしいギャップが強く心を打った――――。

そして、それぞれキラキラ輝く原石のような、すばらしい賢いよい子たちが、
コーヒー用のフロクシュガーに本当に本当に喜んでいる様子に、飽食の日本の
子供、若者には決してみられないものを見たような気がして、ひどくショック
を受けた――――。

―― あれから、喫茶店に行くたび砂糖を捨てられないーーーー。

茶餐庁に限らず、マクドナルドでも、本人が必要であるなしに関らずコーヒー
にあのフクロシュガーがついてくる。マクドナルドなんか、2コも3コものせ
られる。そして、本人が手をつけていようが、手をつけずにキレイなままであ
ろうが、使わなかったらあれは全て捨てられるんだな....きっと....。

それまではいつも捨てていた。そのまま置いていった。----香港と中国のマク
ドナルドは店員さんがトレーを始末するのだ。しかしあの一件以来、捨てられ
ずにカバンに入れて持って帰ってしまう。‥‥‥かといって、何に使うという
こともできないのに、、。

―― つい昨日のことのように思っていたが、もう6年になるのだな。

今はもう、林祥冬もフクロシュガーでもないだろう。風のウワサではやっぱり
あの会社にとどまっていて、今では課長さんで、大変重要な責任者として活躍
しているそうだ。

開発区も6年経って大きく変った。スーパーマーケットはおそろしく増えた。
キレイでカワイイキャンディーやグミやチョコレート..何でも安い値段で気軽
に買えるようになった。

林祥冬も、もう28歳〜29歳。残業の時はコーヒーなんかを飲むのだろう。

コーヒーも、昔は高級品だったが、今ではもうすっかり身近なものになった。
そしてフクロシュガーを直に食べるのでなく、コーヒーに入れてかきまぜたり
してるんだろう。――――幹部だからね。

―― 彼等の、あの情熱と純粋が、開発区をここまでに変えたのだ・・・・

                        = この稿おわり =
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